2014年3月27日木曜日

プリツカー賞の行方

今年のプリツカー賞の受賞者が発表された。昨年に引き続き日本人の受賞。紙管の建築で知られる建築家・坂茂(ばんしげる)。ここ5年で3組目の日本人建築家の受賞のお蔭で建築に縁の無い人でも、ニュースなどでその言葉を耳にする機会が多くなったのかと思われるこのプリツカー賞。どんな賞かといえば、ハイアット・ホテルを運営するプリツカー一族が一年に一組の建築家を選び、ある作品にではなく、その建築家の今までの活動に対して授与される賞であり、建築界において一番名誉のある賞と言っても過言ではない。

それをよく表すのが、かつてニューヨーク・タイムズが「建築家にとってこの賞は、科学者や作家たちにとってのノーベル賞のようなものだ」と記事にしたことより、建築界のノーベル賞として広く認知されるようになった賞である。

ある1作品にではなく、その建築家の長年に渡っての功績に対して与えられる賞であるので、ポッと一つ世に知られるような建物をつくり、あとは商業建築でバンバン設けているような建築家や、大学で安定した地位を確保しながら少ない作品を発表しているような建築家には決して手が届かない賞であり、激しい競争世界の中で、常にクリエイティビティを持ちつつ、そして新しい価値を建築の世界に寄与した建築家のみが手にすることができる、建築を志す者なら誰でも一度は夢見る賞であろう。

今までの受賞者を見ていくと

1979年 フィリップ・ジョンソン (1906–2005) アメリカ合衆国
1980年 ルイス・バラガン (1902–1988) メキシコ
1981年 ジェームス・スターリング (1924–1992) イギリス
1982年 ケヴィン・ローチ アイルランド /  アメリカ合衆国
1983年 イオ・ミン・ペイ アメリカ合衆国
1984年 リチャード・マイヤー アメリカ合衆国
1985年 ハンス・ホライン (1934–2014) オーストリア
1986年 ゴットフリート・ベーム ドイツ
1987年 丹下健三 (1913–2005) 日本
1988年 ゴードン・バンシャフト (1909–1990) アメリカ合衆国
       オスカー・ニーマイヤー(1907–2012) ブラジル
1989年 フランク・ゲーリー カナダ /  アメリカ合衆国
1990年 アルド・ロッシ (1931–1997) イタリア
1991年 ロバート・ヴェンチューリ アメリカ合衆国
1992年 アルヴァロ・シザ ポルトガル
1993年 槇文彦 日本
1994年 クリスチャン・ド・ポルザンパルク フランス
1995年 安藤忠雄 日本
1996年 ホセ・ラファエル・モネオ スペイン
1997年 スヴェレ・フェーン (1924–2009) ノルウェー
1998年 レンゾ・ピアノ イタリア
1999年 ノーマン・フォスター イギリス
2000年 レム・コールハース オランダ
2001年 ヘルツォーク&ド・ムーロン スイス
2002年 グレン・マーカット オーストラリア
2003年 ヨーン・ウツソン (1918–2008) デンマーク
2004年 ザハ・ハディッド イラク /  イギリス
2005年 トム・メイン アメリカ合衆国
2006年 パウロ・メンデス・ダ・ロシャ ブラジル
2007年 リチャード・ロジャース イギリス
2008年 ジャン・ヌーヴェル フランス
2009年 ピーター・ズントー スイス
2010年 妹島和世、西沢立衛 (SANAA) 日本
2011年 エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ ポルトガル
2012年 王澍 中国
2013年 伊東豊雄 日本
2014年 坂茂 日本

まさに現代建築史そのものである。毎年発表前の時期になると、世界中の建築事務所で「今年は誰だ」というような会話が交わされ、我が事務所でも、「今年こそはスティーブン・ホールだろう」とか、「いやいや、コープ・ヒンメルブラウじゃないか」とか、「スノヘッタ(snohetta)もあり得る」なんて会話をしていたところである。

ザハ・ハディド事務所に在籍していた当時に、ちょうどザハがこの賞を受賞し、事務所内部でもかなりお祝いモードが盛り上がり、取材に来たBBCの「女性として初めての受賞になるが、それについてどう思うか?」という質問に、「男になったことがないから分からない」とばっさり返答したザハの姿に「さすが、ザハ・・・」と事務所内がざわついていたのをよく覚えている。

ベニス・ビエンナーレとともに建築界における季節の風物詩となっているこのプリツカー賞。忙しい日常業務に追われる中で、ふと「ああ、今の建築界はそのような流れになっているのか」と狭まりやすい視野を広げてくれる時期でもある。

さて、原則一年に一組というかなり厳しいその選定のために、現在のところ受賞者は世界で37組のみ。その中で日本人建築家は6組。一番多いアメリカの8組に次ぐ受賞率である。そして最近の立て続けの受賞を見ると、現在の建築界において如何に日本の建築界が重要な位置を担っているのかが見て取れる。

丹下健三槇文彦安藤忠雄SANAA伊東豊雄、坂茂。共通しているのは、日本的な独特な建築空間を独自の建築言語によって世界レベルまで昇華させ、そしてそれを武器に世界の様々なところで新しい建築を作り上げているという点。如何に優れた能力を持った建築家でも、日本国内のみで活躍している人は受賞者として取り上げられるまでには至っていない。

ズントー、ソウト・デ・モウラ、王澍など、グローバル化した世界のなかで独特な価値観を生み出す新しいヴァナキュラーな建築家と、日本的な空間を追い求めつつも世界で活躍する建築家が交互に受賞するこの数年の流れを見てみると、グローバル化した世界の中で建築界が新しい価値を模索する姿が見て取れる。

さて今年の受賞である1957年生まれの坂茂(ばんしげる)。日本の建築家の中で、日本人でありながらも、インターナショナルな建築家としての位置づけの建築家である。とういのも、高校卒業後日本の大学で建築を学ぶのではなく、アメリカに渡り、南カリフォルニア建築大学、ニューヨークのクーパー・ユニオンという建築界でも有名な大学で建築を学び、在学中に磯崎新アトリエに在籍するが、大学卒業とともに自らの設計事務所を立ち上げて精力的に設計活動を続けていく。

代名詞とも言える「紙(紙管)の建築」。どこでも手に入り、輸送も容易で、施工も専門技術を必要としないということから考え出された紙を建材として使うアイデア。既存のものを如何に専門的に処理していくかを学ぶ日本の大学とは違い、如何に新しい価値や利用方法を発見し、それを現実に落とし込んでいくかという想像と実行を鍛錬する海外の先進建築教育がそのキャリアの土台になっている建築家らしい、素材へのアプローチ。

そしてその「紙」という素材がもたらす入手容易性、施工容易性は、短期間に建築を作り出すことを可能にする。その為に、震災や難民など、非常事態において人が住まう場所をできるだけ短期間にかつ効率的に作り出すことが可能になるのではということから、自ら震災後すぐに被災地に駆けつけ、自分でできることを模索し、自分たちの作り出した建築が少しでも社会のためになるようにと実行する。その被災地との関係性。

この二つは結局は「マイノリティ、弱者のために建築が何をできるか?」という問いから発生しており、それが建築家の活動のモチベーションとなっている。

現在では日本、アメリカ、ヨーロッパに事務所を構え、「紙の家」という個人住宅のような作品から、「ポンピドゥー・センター・メス」という世界的に注目をあびる公共建築まで、とにかく幅広く、そして大量の建築を手掛ける。

その作品を見てみると、

1995 カーテンウォールの家 
1997 壁のない家 
1997 羽根木の森 
1998 アイビー・ストラクチュアの家 
1999 ねむの木美術館 
2000 木製耐火被覆ー01 ジーシー大阪営業所ビル 
2000 家具の家 
2001 網代構造NO.2 
2001 はだかの家 
2002 紙の資料館 特種製紙総合技術研究所 Pam 
2003 PLYWOOD STRUCTUREー03 
2003 ガラスシャッターのスタジオ 
2003 写真家のシャッター・ハウス 
2004 ブルゴーニュ運河資料館・ボートハウス 
2004〜 ノマディック美術館 
2005 紙の仮設スタジオ- PTS 
2006 成蹊大学情報図書館 
2007 ニコラス・G・ハイエックセンター 
2007 カトリックたかとり教会 
2010 ポンピドゥー・センター・メス 
2011 女川町3階建コンテナ仮設住宅 

海外といっても、分かりやすいヨーロッパの大都市での作品だけでなく、様々な国の様々な都市でプロジェクトを手掛けていることが特徴的であろう。建築という土地に根差すものであるだけに、プロジェクトがある場所に建築家はかならず足を運ばなければいけない。これだけのプロジェクトを世界各地で行い、しかも建築事務所としてデザインの方向性とクオリティを保つためには、相当なエネルギーと行動力が必要となってくるであろう。

兎にも角にも、今までとは少し違ったタイプの日本人建築家が世界的な受賞を無しえた今年。それが何かしら新しい風を日本の建築界にも運んでくれることを期待しながら、来年は一体どんな建築家にこの賞が与えられるのかを楽しみにしながらまた仕事に戻ることにする。

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