2014年2月2日日曜日

旧JR大社駅 曽田甚蔵 1924 ★★★

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所在地  島根県出雲市大社町北荒木
設計   曽田甚蔵
竣工   1924
構造   木造
機能   駅舎
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モータリゼーションの発達の末に、その役割を終えたかつてのローカル線。朝ドラでよく聞いた台詞に聞こえるが、この駅舎が利用されていたJR西日本大社線も同じくその役割を終え、1990年に廃線とされたという。

その大社線の終着駅であったのがこの旧JR大社駅。先程訪れた一畑電車の出雲大社前駅よりも数年早く、1924年に竣工された駅舎であるが、一畑電車が最先端の西洋建築様式を採用したのに対し、こちらは出雲大社を模したといわれる純和風建築。

設計に当たったのは、後に同じく和風木造駅舎として知られる中央本線の高尾駅北口駅舎や両国駅も設計した、鉄道省本省の建築課所属の曽田甚蔵。当時弱冠25歳の若さであったという。ちなみに伊東忠太がお墨付きを与えたといわれているらしい。

そしてその曽田甚蔵と同じ頃に鉄道省建築課に所属した若手建築家の長谷川馨によって設計されたのが、白壁のハーフティンバーの外観を持つ東京の原宿的。

「ごちそうさん」でも見られるように、当時は新しく創設された帝大の建築学部で最先端の西洋建築を学んだ若者に設計を任せるという、新しい時代に能力を持った新しい人材が上手く登用されていった時代であったようである。

今では当時の様子を残す様に保存され、無料にて一般公開されている。到着した時も、小さな娘と息子を連れた父親が、駅舎外壁沿いに設置されている木造のベンチに座り、お弁当箱を広げておにぎりをほお張っている姿が見られた。

一見老舗旅館の様な堂々たる姿を見せるこの駅舎。天皇陛下も参拝に上がることがあった日本有数の神域空間である出雲の地。その玄関となるべく、一種の国家事業であったに違いないその設計過程。

そのプレッシャーを一手に引き受けた若き建築家の苦悩の日々を勝手に想像しながら、中に入ると木造の優しい表情と、使い込まれ、多くの人の手の記憶が残るその肌目に、生れ故郷の最寄駅でも、かつてはこんな木造の切符売り場や待合室があったなと、うっすらと昔の記憶が頭の中で蘇ってくるのを楽しむことにする。











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