2014年2月10日月曜日

実家堕落論 

休暇にあわせて帰省をし、両親が住まう実家にて数日を過ごす。数日にも関わらず、あまりの快適な環境に麻痺するように自らが堕落していくのを感じて過ごす。

ネット時代から取り残された高齢者の両親の家であるため、ネットへの接続がない環境。普段なら考えられない事態であるが、その為にまともに仕事のメールをチェックすることすらままならない。

仕事をするしつらえになっていない為に、図面を開いてチェックしようとしても、ちゃぶ台にノートパソコンを置いてなんとも疲れる格好で画面に向き合おうことになる。そんな状況でまともな仕事ができるはずもない。

普段なら数十分ごとに各プロジェクトの進行がどうなっているか、SNSやメールでやり取りが行われているが、完全にその世界から蚊帳の外に置かれた状況。始めの数日はその環境にかなり焦りを感じてソワソワと落ち着かないが、それすら「しょうがない」と踏ん張りが効かなくなってしまう。

日常は物凄いスピード感で動いている世界。様々な相手とやり取りをし、問題をできるだけ短期間で解決し、できるだけ設計を進めること。少しでもサボれば、その分後の自分がきつくなるだけ。だからできるだけスピードを落とさず、流れから外れないように仕事を進める。

そんな日常がすぐ隣に存在しているのが嘘の様にゆったりと流れる時間。そして「人は慣れる動物」であるのを実証するように、こんな堕落した時間を過ごしていてはいけないとわかっていても、人は楽を覚えるとドンドン流される。

生きていくうえで負担しなければいけない様々な事。洗濯や家事、家賃負担や料理。掃除や風呂の準備まで、そこに生活を持っている人の日常に入り込むので、短期のパラサイトになる訳で、自分がやらずともおのずとやってくれてしまう親のありがたさ。

とにかく楽。

もし自分が引退し老後を過ごすだけの高齢者ならそれでもいい。しかしこれから現役世代とし家族を養っていかなければいけない年代に、気力が萎えるのが一番恐ろしい。

この環境は頑張る気力を萎えさせる。ここに長くいてはダメだと身体が感知する。

とりわけ、自分の両親が特にダメ、子供に甘い、という訳ではない。恐らく親というのはそういうもので幾つになっても子供の世話をして喜ぶ。問題は大人になっても、その緩い環境に甘んじてしまい、楽をする自分。

それはある種の怖さをもたらす。その緩慢な環境から抜け出せない人が多くいるのも理解できなくない。そしてそれを簡単には責められない。誰もがこんな楽をしていては、自分で生きていけなくなると思いながらも、それでも毎日少し、少しと麻痺し、それでも世話を焼いてくれてしまう親心に甘え、徐々に徐々に堕落の底へと落ちていく。

その先に待っているのは、引きこもり、ニート、パラサイト。親が元気なうちのという期限付きのパラダイス。

親と過ごす時間は必要であるが、適切な距離を保ちつつ、自らに滞在時間を限ることが自身の心の堕落から救う必要があるのだと改めて理解し、子供が出来たらやはり適切な時期には親元を離れて生活させる必要があるのだと実家に戻る為に思わされることになる。

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