2014年2月4日火曜日

旧明倫小学校円形校舎 坂本鹿名夫 1955 ★

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所在地  鳥取県倉吉市鍛冶町
設計   坂本鹿名夫
竣工   1955
機能   学校
規模   地上3階
構造   RC造
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現代の日常は、自分の好きなものばかりを選んで進められる。好きなテレビ番組だけど録画し見て、興味のあるものだけをネットで調べてその関係イベントに顔を出し、行きたい場所だけピックアップしピンポイントでそこに足を運ぶ。

そんなことを繰り返していると、常に自分の選んだ世界の中で、予測可能なものばかりに囲まれて時間を過ごし、想定外の事態に出くわしたり、まったく知らないことに遭遇することは非常に稀である。

そんな波風の立たない時間を過ごしていれば、もちろん考えるきっかけも、知ろうと思う機会も減少し、なんともつまらない人間になっていくに決まっている。そんな時代だからこそ、気分の興味のある場所でもどこかへ出かけ、それをきっかけにその地域で他にも面白そうなものが無いかと調べてみて実際に見てみて、その体験をもとに、再度それがどういうものなのか、どういう意味なのか調べてみることで始めて、自らの知識の幅を広げることが出来る。

この円形校舎とその設計者である坂本鹿名夫もまさに自分にとっては日常の外にあるもので、この倉吉に足を運ぼうと思って始めて、この地には他にどんな建物があるのだろうと調べることでひっかかり、ろくな下調べもせずに足を運んでみて、それをきっかけ手再度調べることで始めてその背景を知ることになったワードである。

広がっているようで実は、内へ内へと閉じていく現代社会だからこそ、自らの日常の中に、自分にとって不条理なもの、想定外のものに出くわす機会を強制的に取り入れていくことが、現代をどう生き抜くかに関わってくるのだと改めて認識する。

そんな訳でさらっとやり過ごすことも出来ず、一通りこの建築と建築家について情報を仕入れてみることにする。

設計者の坂本鹿名夫(さかもとかなお)は先程訪れた倉吉市庁舎を設計した戦後の日本建築界の大スターである丹下健三とほぼ同時期に活躍した建築家で、経歴は東京工業大学を卒業後大成建設に就職し17年勤め上げた後に独立し、大学時代から研究を進めていた「円形」に特化した建築を多く手がけた建築家だという。

この建築家の代名詞でもある「円形建築」はその経済性と合理性から、病院や校舎に適応され、全国で100以上の円形建築を手がけたという。その中でもこの倉吉ふれあい会館は旧明倫小学校校舎であり、坂本鹿名夫が手がけた円形建築としては二番目、円形校舎としては全国発の建物であり、現在日本で最も古い円形校舎として残っているものだという。


因みに丹下健三が倉吉市庁舎を設計したのが1957年で44歳の時であり、坂本鹿名夫がこの円形校舎を完成させるのがその2年前の1955年で44歳の時というから、なんとも縁のある二人と言うことだろう。

通常、建築設計を日常としていると、円形と言うのは強い中心を持ちながら、その周りに同心円状に広がる円を持つことになる。そして中心点から線を引いて空間を分割すると、どうしても扇形の部屋ができてしまい、内側の円弧と、外側の円弧の長さが違ってきて、壁同士が直角にぶつかることが鳴く非常に家具の配置なども難しくなるので避けられる形状である。

古代にはローマのコロッセオ。そして中国福建省では円形土楼として、構造的な合理性を利用しながらコミュニティを形成する中世の住宅に利用されたり、現代ではデンマークのティットゲン学生寮の様に、少々の不便さよりも、円形のもつ強烈な求心性を学生寮という共通目的を持った同年代の人間が住まう住宅に転化したものなど、世界にも様々な円形建築が見られる。

それでもこれだけシンボリックな形態でありながら、利便性を考えると、なかなか日本の建築史の中には登場してこなかった形態をここまで追求していた建築家がいたとはなかなか興味深い発見である。

様々な保存運動も成されているようであるが、なんとか上手いこと現代だからこそこの円形を上手くいかせるような、見事なプログラムと空間の組み合わせを見つけ出し、現代の円形建築として蘇らせて欲しいものである。




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