2014年1月15日水曜日

二重の搾取

またまただが、「ごちそうさん」を見ていて感じる違和感。

それはあれだけ豊かな食事を毎日いただき、家族の誰もが汲々とすることなく、忙しいといっても現代の働き方とは比べ物にならないほどのんびりしたもので、世間様に恥ずかしくない暮らしを送っているその経済性。

前回の「あまちゃん」でもそうだが、朝ドラに経済性の裏づけをつっこむのは余りにも粋じゃないとは分かりつつも、大黒柱一人の給料で、どうやって今でいったら大家族の豊かな生活を支える事ができるのか?制作サイドは誰もその違和感を感じなかったのか逆に不思議になってしまう。

今のような「土地持ち」が「持てる者」として君臨する時代でもなかったので、家賃は無しなのであろう。現代に比べて恐らく食材費もかなり安かったに違いない。現代人の様に、ひっきりなしに外食に出る事もそうそうなかっただろう。光熱費だって、空調もなければ、洗濯機も無いので、今に比べたら相当低額で抑えられたということか。

それに多くの人数が同じメニューを食べると言うスケールメリットが発生して相当額の圧縮が期待できるといっても、現代の様に一人が働いてなんとか一人の生活が成り立つ時代から見たら、それぞれの項目をどう圧縮していっても、一人の収入で7人もの生活を支えるということは到底想像できないであろう。

そう考えたら、やはり社会の基盤レベルで何かが変わってしまったのだと想像したくなる。個人レベルで皆が働かないと生きていけないそんな社会にされてしまった。労働時間は増えているのに、決して生活が豊かになっていないそんな社会の歪は、どこかで誰かに自動的に搾取をされてしまうからと思わずにいられない。

それは労働の時に発生する搾取と、支出の時に発生する搾取に分けられる。労働力として会社に雇われる身においては、提供する労働力が市場で評価される報酬に対して、会社が仲介として会社が評価する報酬としてギャップが生まれる。

逆に適正価格から大きく外れて市場に出回り、「持てる者」を保護する為に設定された価格でしか生活をできない支出時の搾取。

この二重の搾取が、自由主義経済によって推し進められ、賢く立ち回れる側か、真面目にどんだけ頑張っても搾取の下部構造に留まる側か。

どう考えてもその構造がおかしいと思われるので、いつまでも続くとは思わないし、この構造を元に、上部構造に入り込む事が豊かだと思う事もしたくないのならば、やはり新しい健全な社会の姿をどこかで想像し始めないといけないのだろうと、朝ドラを見ながら想像を膨らませる。

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