2014年1月14日火曜日

登壇の資格

なんだか報道を見ていると、今年は日本中で成人式が「荒れて」いるらしい。

「荒れる」というのは、訳の分からない若者が、とにかく「目立つ」ことを目的に式の進行を妨害し、壇上に登ることの様である。

壇上というのは「努力した人が表彰される場所」であり、何か一つ、スポーツが優れている人、学業が優れている人、地域や学校に貢献をした生徒がその功績を称えられる場所であり、外部からは行政の首長や政治家などが挨拶に上がる場所であったはずである。

頑張って偉いから壇に上がって、皆に晴れ姿を見てもらえる。そんな場所。
それが今は「周りなんか気にしない。目立ったものが偉い」という思いだけ。

ある意味凄いなと思ってしまう。

「未成年だからこれくらいなら刑務所にも行かない」ということをしたたかに計算しながら、羽目を外して仲間内でのよい思い出作りの場にしてしまう。こんなところで思い出を作るのがかっこいいと思っているのも情けないものだが、世界のどこかの国であるならば、こんな重要な公共の儀式を妨害するものはあっというまに撃ち殺されてしまいそうである。

そんなに登壇したいのなら、せめてこのような式を実費でやってもらいたいものである。自分達の仲間で資金を集め、公共の体育館を会場として借りてもらって、好きなだけ壇上に上がればいい。それであれば、これだけ煩わしい映像を何度も何度もテレビで見せられることもなくなるであろう。

しかし「壇上で何か世に問いたいことがあるのだろうか?」、「何か語りたいような夢があるのだろうか?」と考えてみると、恐らく何も無いのだろう。

では、何の為に壇上に上がるのか。それはただ目立ちたちだけ。
なぜ目立ちたいか?。それは日常があまりにも退屈で何も起こらないから。
そしてその日常が今後も永遠に続いていくと気がついているからであろう。

なんとも、さもしい。ワイドショーで何度も繰り返し流されるその映像を見るたびに、そんなさもしい気持ちにさせられる。

人生なんて恐ろしく退屈で平凡なんだと誰かが教えてあげるべきなのだろうか、
それとも彼らが少しでも早くそれを受け入れるように社会を変えるべきなのか。

そんなことを感じながらテレビのチャンネルを変えることにする。

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