2014年1月11日土曜日

欲望との付き合い方

旅行の段取りをしていると、これは非常に生活に役立つことだと理解する。
ぜひとも子供にも早い段階に教えるべきだと思わずにいられない。

予算と時間という限られたリソースの中で、どうやって自分の行きたい所を回れるか?
自分が今、幾ら持っていて、何を買いたいか?
それはつまりは欲望とどう付き合うか。

これを買えば、次の月までお小遣い無し。
それでも買うのか?それとも我慢するのか?それとも計画するのか?

大人になっても親にパラサイトする多くの社会人。
それはつまり自分ひとりが生きていくのにかかるお金を稼げない。
家屋にどれだけ、食費にどれだけ、交際費にどれだけ、自分が生きるのにどれだけのお金がかかるのか把握できない。


お小遣いが無くなったら、ひもじい思いをしていた子供時代。
それを分かっていながら「使ってしまった」と親に再度頂戴と頼めばいいのか?

欲望とどう付き合うか?
それをどうやって自ら習得しきながら大人になるのか。

欲望は自分がどれくらい所持しているかに依るが、その資金が貰う事が当たり前だった子供時代。しかし一度大人になってしまうと、今度はそれを自分で稼がなければいけない。どんなに欲望が膨らんでも、稼げる額は自分の能力次第になってしまう。

その時に、自分の能力によって稼げる金額と、自らの欲望の調整がつけられない人間は大変に苦しむ事になる。その結果、我慢し、欲望を抑制することを徐々に身につけて成長するか、もしくは簡単にお金が稼げる方法に走っていく。

簡単にお金が稼げるほど世の中甘くない。それでも努力して苦しんでお金を稼ぐ忍耐力も無いので、何かを犠牲にする事で対価を得ていく。良心や社会常識、それまでの人間関係を切り売りしながら、犯罪に手を染めてあり、風俗の世界に足を踏み入れたりと通常の労働環境では考えられない大金を手にしていく。

そうでなければ、欲望を抑える努力をしていかなければいけない。
しかし、それは教育だと思わずにいられない。
人生の中で誰かが教えなければいけないことであり、まさに「しつけ」の一つである。

色々な本で書かれているように、現代では多くの親が子供を育てる事は「良い大学」に入れることだと勘違いをし、大切なことを教えることを放棄されてきたようである。安易な親子関係を作る為に、惨めな思いをさせたくないと目先のことだけ見てお金を与えてしまう親。

しかしその行為が、近い将来子供が独立し、自分でやりくりできない様な大人をつくってしまうこと。もしくは自分が死んだ後、その子がどう生きていけばいいのか?そういうことには目を瞑り、とにかく目先の安易な親子関係に安然とする。

その反面、どんどんと社会との、そして自らの欲望とのギャップを埋められず、埋めようともせず「今」と過ごしていってしまうパラサイト達。

本当は自分で自分の欲望をやりくりできない大人になってしまうことの方がもっと惨めなのに、決してその部分には目を向けない。

そして生み出される自分ひとりのことも世話できない大人達。互いの事をケアしあって、世話しあって、共にやりくりしていかなければいけない結婚生活など出来る訳が無い。ましてやもっと手間も、お金も、時間もかかり、自分の時間を犠牲にしなければいけない子供の親となることなどは・・・

そういう子供のままの大人が増えているから、まともな教育やしつけのされない甘い子供が増殖されてしまう現代社会。問題は家族という福祉の傘の中、その実体が見えにくいこと。家族と言う枠組みの中で隠されてしまう事。

しかしこれからの世の中では、そうした欲望との付き合い方をしっかりと教えられて、自ら身の丈にあった欲望との適切な付き合い方をできる人間とそうでない人間との格差がより開いていくと勝手に想像を膨らませ、そのことを幼少期から教え込むために、夏休みにでも一人で小さな旅行の計画を立てさせることは大いに役に立つのではないかと一人考えを膨らませることにする。

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