2013年11月17日日曜日

「生きる」黒澤明 1952 ★★★★


夏の終わりにオフィスを辞め、母国に帰ることになったタイ系アメリカ人のスタッフ。故郷に戻る前にぜひ見ておきたいというので、10日ほど日本に行くというので、見ておいたほうがよい建築のリストを渡しておいた。

その後しばらくしてオフィスに届いたのは、日本の直島から投函されたはがき。「せんせいへ」という拙い平仮名での書き出しに続いては英語でどうにもこうにも日本に恋をしてしまったようですので、いつか日本でプロジェクトが動くようならぜひ声をかけて欲しいとのこと。

こういう手紙を受け取ると、やはり日本人として生まれてよかったなと思わずにいられない。

今より60年以上前の日本。高度盛況に入る前のまだまだ戦後の雰囲気を残す風景。それが日本のどこかとは決して描かれる事が無いが、それがどこにでもある風景だということが重要なように、ある市役所で30年にも渡る長い時間、ひたすら同じ事の繰り返し、ただただ判子を押すだけの作業を繰り返し、何も疑問を持たず、何も意見を言わず、何も新しい事をしないことが何よりの仕事だと言わんばかりの描写。

そんなさざ波を立てない日々を送っていた男が、ある日自分が胃癌を煩っており、残りの寿命が半年だと知る。それを機会に如何に今までの自分が「生きて」なかったかを知り、どうすれば「生きる」ことができるかを求めて彷徨い、そして見つけるのは今まで何も考えずに「こなす」だけであった仕事の中で、自分が頑張れば何かを変えれる、誰か人の為になることができる事を見つけ、一つの公園を実現することに命を駆けていく。

黒澤映画の凄さは、夏目漱石の小説と同様に、人間の本質を描くことにあり、それ故に60年経たいまでもそのテーマ自体は古びる事は無い。むしろその白黒の映像の方が、余計な装飾を剥ぎ取られ、日本人の如何に予定調和的な仕事の進め方、如何に周りを見ながら時間を過ごし、本当の意味では「生きて」いないかを強烈に描き出す。

「命短し恋せよ乙女 紅き唇 褪せぬ間に 
赤き血潮の冷えぬ間に 明日の月日の無ひものを」

命の長さ、時間の尊さ、生きることの意味について考えてこなかった主人公が、その終わりを知る事によって始めて「自分らしさ」に向き合うことを象徴するかのように、主人公が作中で何度も歌うこの歌は佐川満男の「ゴンドラの唄」の一節。

「夜は短し歩けよ乙女」でも引用されるが、短き時間を知ってか知らずか、とにかく「今」を精一杯生きるのが得意なのはどの時代でも乙女ということであり、主人公もまたその若き「乙女」に生きることを教えられる。これはどの時代も財も名誉も手に入れた老年男性が、それでも若き乙女に心を奪われる繰り返される人の性と言わんばかりに。

兎にも角にも、今の自分が本当の意味で「生きて」いるか?自分の頭で考えていると思う事で、実はただただ「こなしている」ことではないか?誰か他の人が考えた事をただただリピートしているだけではないか?今日一日だけを生きるだけを目的とし、どう人生を生きようとしているか考えてないのではないか?

そんな人間としての本質に向き合う名作に違いないと思いながら、恐らく今日もどこかの市役所では、要望書を「これは○○課にまわして」とたらいまわしにしてそれを仕事だと呼んでいる輩が数多くいるのは変わっていないのだろうと想像をめぐらせずにいられない。

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スタッフ
監督 黒澤明
脚本 黒澤明 
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キャスト
渡邊勘治 志村喬
渡邊光男 金子信雄
渡邊一枝 関京子
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