2013年11月2日土曜日

天安門 1651 ★★★



いろんな分野でメンターを持つことは人生の幸福度を高めてくれるが、北京で出会ったスコットランド人は、オペラやクラシックという分野に対してとにかく広く深い知識を持っていて、なおかつとても親切に説明してくれる。

数ヶ月ごとにその後のシーズンのお勧め、彼らご夫婦も購入したチケットの講演などを教えてくれるので、それを参考にして自分なりにプログラムとにらめっこをしながら、そんなに多くは買えないチケットの中で何を選ぶかに頭を悩ませながら、「この優先順位」と自分なりに判断をして、オペラハウスのチケットカウンターまで足を運んでチケットを購入する。

およそ1ヶ月間の文化活動が確定される瞬間は、少しだけ街がキラキラして見える講演のある夜のオペラハウスまでの風景を想像しながら気分も高まるものである。

そういう土曜日の今日はいつもどおりに天安門前を通ってNCPAに向かう。いつもと同じようにスモッグがかかったような大気汚染の空の下、いつもと同じようにとなりの片側6車線という強烈なスケール感を出してくる長安街の交通渋滞。いつもと同じようにごった返す天安門前の観光客。

そんな風景の中で、少しだけいつもと違うものがある。

それは数日前に発生した、天安門前での爆破テロの影響で、普段となんら変わらない平和な天安門前の風景を装っているものの、いつもののんびりした警備体制とはうって変わり、警官の数も増加され、高まっている緊張感を感じ取ることができるようになっている。

さてそんな天安門(tiān ān mén)。改めてその歴史を紐解いてみるが、その前に北京のいたるところにある門についてから。北京で生活をしていると日常的に「○○門」に出くわす。それが地名や駅名になっているので、东直门(dōng zhí mén)、朝阳门(cháoyáng mén)など、渋谷や新宿的な使い方をすることになる。

それらの門は流石は巨大権力都市であった北京だけあって、しっかりと体系立てて配置されている。その分類は大きく分けて以下の4つに分けられる

宫城城门 つまり故宮(紫禁城)内部に設置された門
皇城城门 内城内部で宫城の外に設置された門
内城城门 南が長安街、東が東二環、北が北二環、西が西二環で囲まれかつてはここに高い城壁が築かれていたエリア。その城壁上に設置された門
外城城门 内城の南、北を長安街、南を南二環、東を東二環、西を西二環で囲まれ、内城同様かつてはここに高い城壁が築かれていたエリア。その城壁上に設置された門

となる。こうして整理すると少し北京を理解しやすくなる。詳しくは下記のホームページで。


さて、話を天安門に戻してみると、上記の4つのうち何処に属する門なのか?

場所的には内城に入っているが、故宮の外にあるということから皇城城门の一つであることが分かる。元々は北京を都として定めた明王朝の永楽帝時代の1417年に故宮の南に建設されたのが「承天門(chéng tiān mén)」。この門は雷で焼失したりして再建されたりもしたが、明の滅亡と共に再度焼失する。そして清時代に入って再建されたのが現在の天安門で、名称もその時に現在の天安門と変えられたという。

中央に毛沢東の肖像画。その脇には「中华人民共和国万岁 世界人民大団結万歳」のスローガン。そんな変わらない風景の中に張り詰める緊張感を感じ取りながら、内城から外城に渡ってNCPAの駐車場へとスクーターを滑り込ませる。



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