2013年9月18日水曜日

対極に振れる

この世が作用反作用の法則によって支配されているように、人の感情もやはり寄せては返す振り子の様に、一方に振れた後は必ず対極に振れ返すものだと思う。

自分にとってもここ数年の寺社を始めとする日本の数百年もの古建築などに対する興味もまた、その振れ戻しの作用なのだと思わずにいられない。では、その対極にある日常は何かと考えると、毎日を過ごす中国でのスピード感。

日本では、というよりも、他のどの国でも考えられないほどのスピード感とプロジェクトの巨大さの波の中で揉まれながら生きている。波に呑まれて流されないようにと必死に手を伸ばすように、効率を上げて考えながら、同時に手を動かしてスケッチをする。

建築家として生きてきた時間の仲で、こういう短い時間でこなしていかないといけない設計では、どうしても奥行きのある味わい深い空間はできないだろうと理解しても、今やれることはそこから逃げ出すことではなく、その状況に自分を晒し、慣らし、手なずけること。そしていつか自らコントロールできるように自分が上がっていくことに他ならない。

朝に、「ッフ!」と息を吸い込んで、気がついたら夜になっている。そんな疾走感。

建築家を目指したからには、ゆっくりといろんな本を読みながら、じっくりと様々なことを考慮しながらスケッチをし、いろんな角度から検討して設計を深めていく。そんな世間よりゆっくり流れる時間を持ちながら設計に取り組む。そんなことを夢見るものであるが、今の状況ではそれは望めないこともまた理解する。

だからこその振れ戻し。自分の中でのバランスをとるために、どれだけ振れ戻さなければいけないか?それは頭よりも身体が知っている。その求めるままに人の人生なんてなんて短いスパンだと思えるような悠久の時間が流れる空間に身を置きに行く。

悩み苦しむ自らの一日なんて、まさにハッと息を呑む一瞬だと理解するために。

出来る限りの対極に振れ戻せば戻すほど、日常を生きる力になるのだろうと思いながら、多くの聖域に流れる空気を自分の身体に吸収して帰ってきた日常の時間の中で、以前よりも更に遠くまで触れることができるようになった自分を感じながら今を生きる。

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