2013年9月21日土曜日

動き出す時間

一週間以上もジムに行かないと、どうも身体のあちこちにポツポツとにきびが出来てくる。明らかに通常の生活では新陳代謝が十分に成されておらず、強制的に汗をかいて内部から押し出してやらないと身体の内部にどんどん不純物が溜まっていく。

それと同じく身体の中に溜まる膿。

足を運んだ場所、そこで目にしたもの、そこで感じた空間。それらについて何かしら外部化していかないとどんどん身体の中で腐っていく。本来なら時間をかけてその場でスケッチを描き、見たものを平面化してみて、そこで新たなる発見として日常に持ち帰る。

それが出来れば一番良いのだが、それほど余裕のある生活を送れるほど何かを成し遂げても居ないので、とにかく修行の身として出来るだけ多くのことを目にし、見たものから興味を得、それを少なくとも知識として仕舞っていく

体内で腐敗を起こさないように、出来るだけ自分の言葉で見たものを纏め、簡単でもいいが体系立てて理解をする。その作業の中で自分化を行っていく。その為にとても役立つのがこのブログとういメディア。

そんな訳でやっとまとめ終えた100を超える寺社の訪問記。別に誰かに頼まれているわけでも、誰かが喜んでくれる訳でもないが、それでも自分なりにしっかりと今をこなして行く為にちゃんと時間を消化する一つの基準。

ただし時間は待ってくれないから、「今」はすぐに「この前」に変わり、なんとか「かつて」になる前に定着しようと試みる。その為に、どんどん「今」から偏差しながら「この前」の「今」を言語化することになる。チクタクと進む時間との闘い。その間もどんどん増えていく「今」が更におざなりになっていく。

「この前」の「今」を消化するために、別の膿が身体に溜まっては本末転倒もいい所で、なんとかドォッと吐き出す様にまとめては、やっと「今」に追いつく。

歪んだ時間のイメージが「カチリ」と動き出す。

それと同時にすっかり「かつて」に属するようになってしまった、本や訪れた建築。ほったらかしにされて、すっかり記憶も陳腐化してしまってはいるが、カレンダーから掘り起こしてはその時のメモを見返して、「今」の言葉ではなく、「その時」の言葉で外部化していく。

再度の読書体験と共に、自分の記憶のあちらこちらで「カチリ」「カチリ」と様々な時間が動き出す。

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