2013年9月29日日曜日

「郊外の社会学―現代を生きる形」 若林幹夫 2007 ★★★


建築を職能としていると必ず向き合う事になるのが「都市とは何か?」の問い。

それこそ人類最高の発明品かもしれないし、ツリーなのかもしれないが、一人ひとりの建築家がそれこそ戦う対象として、自らを呑み込み胎動し続ける都市を考えることになる。別に考えなくてもいいのだが、そのように考えるようにと刺激をするのもまた都市の魅力。

さて、千と千尋の神隠しの「カオナシ」のごとく、捉えどころのないウネウネ動き続ける都市。常に人が流入し、好き勝手に都市を利用し、自分の人生の舞台として様々なドラマを勝手に生み出し、そしてまた転出していく。その変容の状態が都市そのもの。

それを捉えようとするのはプカプカと浮かぶ雲を手にしようとするのと同じで、どうにも手ごたえが無い。だからこそ、歴史上数多の建築家や社会学者がその戦場へと足を向けてきた。

まったく糸口が無いかといえば、歴史上でこれは有効だと考えられる方法が幾つか開発されてきた。その一つが、都市というある種の磁場を持つ場であるならば、その中心と磁力が及ぼすフィールドとして都市を捉える方法。つまり「中心」と「周縁」の問題。

その都市の周縁に当たるのがこの郊外。もちろん中心である都市が捉えどころが無いのと比例するように、その周辺もまたフワフワとなんとも頼りなさげに移ろう。人口流入が加速し都市化が進んだ20世紀後半。その受け皿として消費社会に刺激されながら厚みを持って拡大した東京の郊外。

夢のモダンライフの舞台であった郊外が、いつの間にかどこにもある匿名の場所に成り果てて、世代を超えてそれが既に日常へと取り込まれた現代の日本。「ファスト風土化」し、「どこでもいい場所」へとなり、現代日本の新たなる原風景を作り始めたその郊外。そんな更新する現代の郊外を少しでも捕まえようとする郊外研究の第一人者の書。

「或る社会にはその社会の支配的な価値や中枢的な集団や機能が場を占める「中心」。それに対する辺境で、非正統的な価値、被支配的な集団、従属的な機能が場を占める「周縁」がある。周縁は、中心を支配する価値とは異なる新しい価値を実現しうる場所である「フロンティア」となる。」

歴史性の欠如。コミュニティの欠如。ゲニウス・ロキの欠如。人口分布の多様性の欠如。土地に根付いた祭りの欠如。文化の欠如。ひたすら続く欠如感。

とにかくネガティブに語られる郊外。しかし現代日本のほとんどはその郊外で埋め尽くされている。そして団塊世代を中心に現代日本が形成されてきたように、その郊外をターゲットに日本社会は形成され、その薄っぺらさが日本中を覆う今の状況。

郊外が成立する最も大きな条件として、都市に住まおうとする人口増加が挙げられるが、その前提が崩れていく今後の日本。周縁を定義する中心である都市の意味が変容していく今後の時代。常に中心に憧れとしての視線を向けてきた郊外もまたその意味を変えていく。

そんな時代を読み解くためにはぜひとも読んでおきたい一冊であろう。

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目次

序章 郊外を生きるということ
/『ニュータウン物語』
/私の郊外
/暴力と忘却
/郊外を生きる

第1章 虚構のような街
/美しく丘から
/ニュータウンのポストモダニズム
/虚構のような街
/ショートケーキハウスと小人たち
/郊外の根なし草性
/ニュータウンの社会と文化
/条件としての浅さ
/私たちをめぐる思考

第2章 この立場なき場所
/分厚い膨らみ
/客観的に測定すると
/あぶない郊外
/金属バットから酒鬼薔薇まで
/郊外は住む場所じゃない?
/建築じゃない住宅
/素敵な郊外
/両義性と周縁性
/立場なき場所

第3章 郊外を縦断する
/つくばエクスプレスに乗って
/青い郊外と白い郊外
/陸の孤島?
/歴史の中の郊外
/公園、森、キャンパス
/遠心化と求心化
/普通になる奇妙さ
/郊外の「地層」
/近所の地層を歩く
/均質と混在と
/原風景の両義性
/「郊外を生きること」の形

第4章 住むことの神話と現実
/多面性と重層性
/石原千秋の場合
/理想としての団地
/団地ライフ
/そして、持ち家へ
/「ふるさと」と「いなか」
/新しい二重生活
/闇のある祭り、闇のない祭り
/祭りの記憶
/23万人の個展
/郊外の神話時代
/コミュニティがコミュニタスだった頃
/あなたはだぁれ?
/様々な神話
/郊外の現在へ

第5章 演技する「ハコ」
/郊外化の二つの波
/「東京」の侵略と第四山の手
/新しい神話ーパルコ=アクロス的なもの
/量から質へ
/演技するハコ
/輝くクリスマス・イルミネーション
/文化としての郊外
/出窓と小人とガーデニング
/リビングとワンルーム
/済むことの偶有性
/「演技するハコ」のアイロニー
/ロードサイドという「どこでもいい場所」
/偶有が必然になるとき

結章 郊外の終わり
/郊外化と「大きな社会」
/郊外化の終わり
/高齢化する郊外
/それは「病」ではない
/縮小する郊外、純化する郊外
/ブランド化する郊外、郊外と言うブランド
/共異体=共移体としての郊外
/忘却の歴史、希薄さの地理
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