2013年8月25日日曜日

「オリンピックの身代金 上・下」 奥田英朗 2011 ★★

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第43回(2009年) 吉川英治文学賞受賞
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夜、家に帰ろうと駐車場から自転車に乗り込んでオフィスの前を曲がって胡同に入っていく。東京の様に夜も昼間の様な明るさを持つ街ではない北京の更に毛細血管の様な胡同の中は夜になればすっかり闇に包まれる。

そして最初の角を曲がるところで、暗闇の中にうずくまり、道に面した扉を開けばすぐにベッドが置いてあるという、なんともシンプルな家の中から伸ばされたホースの口を側溝のグレーチングに向けて、流れ出る水を使って気持ち良さそうに豪快に歯を磨いているおじさんがいる。もちろん上半身は裸。

周りを気にする様子も無く、あかたもここで歯を磨くのが、朝に太陽が昇ってくるのと同じくらい当たり前かの様にゴシゴシと音が聞こえてくるくらいに磨いている。恐らく日が昇るのと同じくして目を覚まし、この胡同内部なのか外なのかは分からないが、肉体労働と呼ばれる仕事場で身体を動かし、家に戻って夕食を食べ、日が沈んだこの時間には当たり前の様に一日を終えようとしているのだろうと勝手に想像する。

日が沈んで暗くなったら寝る。21世紀のメトロポリスとなった北京のど真ん中に置いてもその当たり前は変わらない。とてもシンプル。恐らくそういう生活なのだろう。起きて、働き、食べて、身体を動かし、一日を終えるために寝る。まさに人夫(にんぷ)と呼ばれる力仕事に従事する労働者。

プロレタリアと呼ばれることも意識せずに、不満はありながらもそれなりに楽しく一日を終えていくのだろうと勝手に想像する。マルクス主義に煽られるようなブルジョワジーとの争いを経ることなく開催された2008年の北京オリンピック。恐らく東京の時とは比べ物にならないほどの人海戦術で整備が進められ、遅れてきた大国はここぞとばかりに近代化を一気に進め国際社会の表舞台へと進み出る。

スポットライトが強烈であればあるほど、床に描かれる影もまた漆黒の闇の様に深く、多くの人夫達の献身の上にその虚構が積み上げられたのだろうというのは想像に難くない。オリンピックと言う舞台が、その時の主人公である国が何を目標に掲げているのかを照らし出す。国民が同じ夢を持つことがまだ可能かの様に「同一个世界同一个梦想」と掲げられたスローガン。

「一つの世界、一つの夢」

2020年のオリンピックが二回目の東京に決まりそうなそんな時期に、東京中が埃にまみれながらも、戦時中とは違った意味での「お国の為に」という国民共通の夢の中で時間が進んでいた時期の話を読む。

50年前の1964年の東京オリンピックは、戦後から復興を遂げ、国際社会に復帰する宣言の様に行われ、持てる才能を適材適所に登用しながら、東京を世界の大都市へと変貌させた国家事業。

オリンピックという、国家が大手を振って税金を湯水の様に投下できる大義名分。その流れ落ちる金の先には、数多の利権に群がる企業群。オリンピックと言う一ヶ月の祭典の為に、それまでの何年にも渡って麻薬の様にある種の思考停止に陥りながら、近代以前には決して行われることの無かった都市改造を可能にする。

その光のど真ん中に立つ東京。それは同時に、東京と地方との格差を拡大する。と同時に、東京の中でも上部構造に所属する人間が享受する利益に対し、それを支える下部構造に所属する労働者との格差を助長することにもなる。

そんな成長する国家の中での摩擦に、労働階級の兄の死を契機に葛藤しだす主人公。その怒りの矛先は、シンボルとなるオリンピック開会式。

犯人も分かっていて、手口も明らかにされている。その為に最初は「何を読まされているのだろう?」と訝しみながら読みすすむ。時間が前後するので、筋を掴みながらついて行きのに苦労するが、「もう犯人は分かってるんだろう?どうやって最終的な犯行に及ぶかをドキドキさせながら引っ張るのか?」なんて心配してしまうが、そこはさすがベストセラー作家の腕の見せ所。結局飽きることなく、その上犯罪者である主人公に感情移入までさせられながら最後まで読みきってしまう一冊。

さぁ、次のオリンピックに向けて、東京にはどんな光と影が現れるのだろうか楽しみだ。

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