2013年7月19日金曜日

佐川美術館 樂吉左衞門館 竹中工務店 本館 1998 / 別館 2007 ★★★★★


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所在地  滋賀県守山市水保町
設計   竹中工務店
竣工   本館 1998 / 別館 2007
機能   美術館
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日本有数の食品会社の会長であり、同時に日本有数のアートコレクターでもあるイセ食品の伊勢会長に、アート関係の友人のつながりから何度かご一緒させていただいた折に、「今まで足を運んだ美術館の中で、どこが印象的でしたか?」という質問に、「佐川美術館は凄かったねぇ」という言葉を聞いて以来、ずっと足を運びたかったこの美術館。


I.M.ペイ設計の「MIHO MUSEUM」を諦めてまでも優先させたこの美術館の茶室見学。湖南市からの戻りの道、一車線道路にでスピードを出そうにも抜けない前ののんびりした軽にイライラしながらも10時15分前に到着し、予約時に言われたように入口脇の受付で入館料¥1,000を支払い、それとは別途茶室見学料の¥1,000円を支払い、撮影禁止ということで、手荷物をロッカーに預け暫く待つことに。

この佐川美術館。創立40周年を記念して1998年に日本画家・平山郁夫と彫刻家・佐藤忠良の作品を中心に竹中工務店の設計で設計される。そして2007年には十五代樂吉左衞門の陶芸(樂茶碗)作品を展示する「樂吉左衞門館」を敷地内に新館として建設された美術館。

画家と彫刻家はイメージできるが、楽茶碗となると少々勉強不足であり、渡される説明文によると樂吉左衞門(らくきちざえもん)は、千家十職の一つである茶碗師らしい。

楽焼の茶碗を作る樂家が代々襲名している名称が樂吉左衞門だという訳である。ちなみに現在は15代当主となっている。

茶道に関係することは分かるが、では「千家十職とは?」というと、千家十職(せんけじっそく)とは、千利休を始祖とする茶道の三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする業者の十の職家を表す尊称であるという。いわゆる「千家好み」の茶道具を作る為に必要なプロフェッショナルの集団といったところだろう。

茶碗師 − 樂吉左衛門
釜師 − 大西清右衛門
塗師 − 中村宗哲
指物師 − 駒沢利斎
金物師 − 中川浄益
袋師 − 土田友湖
表具師 − 奥村吉兵衛
一閑張細工師 − 飛来一閑
竹細工・柄杓師 − 黒田正玄
土風炉・焼物師 − 西村(永樂)善五郎

そしてその樂家の名が冠されたのが楽焼(らくやき)で、素焼きの陶器に絵付けをする焼き物という。主に鉄釉を利用して黒く変色させる黒楽と、赤土を使う赤焼があるが、映画などにもみられるように秀吉は黒楽を嫌い赤楽を好んだとされる。

そんな訳で、この美術館自体も一級品なのだが、伊勢会長も唸ったと言うその樂吉左衞門館とその中の茶室は当代の樂吉左衞門氏自らが設計の創案を行われたというように、超一級品。これが文化の粋をいうのを痛感させられるような空間が待っている。

琵琶湖のほとりの広大な敷地に大きくはられた水庭。地面とツラに合わせられた水面を緩やかな橋を渡りアプローチしていくが、その中で本館の蔵のような切妻屋根の二つのボリュームが如何に巨大かを体感する。

建物側は同じく水面と同じレベルで合わせられた石張りで、水面下の目地から、排水溝の目地、石床の目地ときて、壁面下部の照明用蹴込みを通って、杉板コンクリート型枠に凹凸をつけられた壁面の目地。それを辿って視線を揚げていくと、軒下に使われるコンクリート板の目地、そして細い庇下の金属板の目地と、どの段階で何を決めていたのか?と思わずにいられない徹底振り。そこまでするから初めてそこに存在しないかのような背景となりうる。素晴らしいと唸る。

穏やかな広い水面を右手に長いアプローチを進み、左に開けたスペースを折れると迎えるのが「佐川美術館」の文字。床も壁も天井も、ばっちり目地が通っているので、5文字の真ん中の美の縦線を揃っていないのが返って気になってしまうほど。

中に入ると天井の高いホールがチケット売り場とインフォメーションセンターとなっていて、ここで入館料と茶室見学料を支払い、人数が揃うまで待っていて下さいとのこと。ホールから中庭方面に向かうと中心に待ち受けるのがギリシャの様に彫りを深くされたコンクリートの柱。この空間の中心を担うシンボルだけあって、床の目地はもちろんこの柱の中心から始まる。

そうしてホールの端まで追っていくとやはり半端な大きさの石となるわけだが、それはこの空間の主題とは成りえない。逆に柱を超えると、中庭の水庭の中心に佐藤忠良の作品が展示されているのだが、もちろんこちらの空間に来ると、この作品が空間の中心となるわけで、床の目地もここをセンターに始まる。そうして追っていくと、先ほどのホールの空間から始まる目地と、こちらのセンターから始まる目地での食い違いを間の壁の厚みで違うパターンを挿入して吸収。

「そうだよな・・・」と思いながらも、「何と何が、どの段階で分かってないとこれは実現できないな・・・」と、このレベルのことを今の中国で進んでいるプロジェクトで行うことの困難さに頭が痛くなってくる。

荷物をロッカーに置いて、予約の10時になると、受付から女性の係員の方が出てきて、今回の時間に見学する自分を含めて三人を案内してくれる。本館から長い廊下を進んでいくと、新館との見切りラインが見えてくる。壁の仕上げも粗い杉板から凹凸を抑えられた仕上げに代わり、床も黒い石張りへと変わっていく。

壁に設けられたスリットから入る光を見ると、足元と天井にしっかりと納められた空調吹き出し口に目がいき、その中心にばっちり揃う目地に感服。「まさか・・・?」と思って外の水庭を見てみると、流石にその床目地はマリオンとは揃わないようである。

新館側の水庭には島のような植栽が植えられよく実ったヨシが風になびいている。本館へのアプローチではそれが見えないようにするためか、目隠しの壁が世界を分けるように低くだが確実に建てられている。ヨシの後ろには、地下の展示室に光を届ける長方形の天窓が設けられているが、その上にも水がはられている。

http://www.lago.co.jp/works/operation3.html

地下の「樂吉左衞門館」にたどり着くまでに、様々なディテールと素材感に唸りながら、「本物の質は違うな・・・」と今の自分との距離を実感し、少々悲しくなりながら足を進めると、先ほどの水を張った天窓を通しての揺らめく光が壁を照らす。

特別な入口から茶室空間へと案内してもらうのだが、茶事についての教養が無いために、説明していただいた内容の恐らく半分も本当の意味で理解できてないのだろうと悔しい思いをしながら耳を傾ける。

まずは「路(ろ)」と呼ばれる通路を通る。壁面は先ほど同様杉板型枠コンクリート。床と天井は、オーストラリアの鉄道の枕木として使われていたものをわざわざ持ってきて敷いているために、年月を経て風化した味のある表情を見せている。壁面下部の間接照明だけで照らされるために、よりその凹凸が足の裏に感じられる気がする。

その先に待ち受けるのは、「寄付(よりつき)」と呼ばれる、いわゆる茶会の時に客がまず集まる場所の空間に出る。真ん中に置かれるのは大きな一枚板のテーブル。なんでもインドネシアで探し出してきた銘木らしく、テーブルを照らすスポットライトと、壁面下部の間接照明だけの落ち着いた空間でテーブルの木目が存在感を発揮する。

その先は「水露地(みずろじ)」という空間で、上部の水庭の中に接地された円筒形のコンクリートの壁が地下レベルまで達して中庭を作っている。その壁面は今度は段々になるように設計されており、上の縁から注ぐ水が壁面の段々で跳ねてはよい音を反響させる。

床は水が張られ、円形に切り取られた空を見るように待合(まちあい)の為の腰掛板が壁から張り出しており、この板もまたどこかから手に入れてきたものだと言う。そして床面は飛び石として不整形に切り出されたジンバブエ産の石が敷かれる。切り出すときに使用したドリルの跡もわざと見せるようにしているのだという。粗い表面に水がかかるとまるで墨石のような黒色になる。

その水露地を折れるようして進むと見えてくるのが「中潜(なかくぐり)」。腰を屈めて頭をぶつけないようにして再度室内空間へ。暗い空間にいくつかの天窓からの光が差し込み、なんとか何があるのかを認識できる程度。右手の階段を登り見えてくるのは「埋蹲(うめつくばい)」。蹲踞(つくばい)とは茶事の時、客が茶室に入る前に手を濡らし、口をすすいで、身を清めるために置かれた手水鉢と役石などのことらしいが、ここでは床面に1m角程の正方形の穴が掘られ、その中に先ほどのジンバブエ産の黒い石が床とツラになるように置かれ、その真ん中に直径20cn程の円形に穴が抉られ、手水鉢となっている。

その左手には「小間・盤陀庵(こま・ばんだあん)。空間を覆うのは特殊な越前和紙で、まるで大理石のような紋様が走り、揺らめく水面のような雰囲気を作り出す。躙口(にじりぐち)から中を覗くと目に入るものどれもがこだわりの味のある素材ばかり。床の間の2面の壁は杉板型枠のコンクリートだがそのピッチが細かく変えられ繊細な表情を出すかと思えば、残りの一面は先ほどの枕木の荒々しい表情。床柱はバリの古材を使用したという。まさに柱や壁が荒々しさと繊細さの共存のオンパレード。

ますます、長い年月の中で身体に染み付いていく所作と素材に関する感性の素晴らしさを痛感し、それと同時に自分が学ばなければいけないことの多さに目がくらむ思いを感じながらも先へと進む。

階段を上がり地上レベルに達して中に入るのは「広間・俯仰軒(ひろま・ふぎょうけん)」。水庭と同じレベルに合わせられ、畳の空間の外には、再度ジンバブエ産の粗い表情の黒い床の縁側空間。そしてその外は水面が広がり、ヨシの緑が視線を遮ってくれる。

床の間に目を向けると、床框(とこかまち)は漆黒の怪しい光を放つ石。「これはひょっとして・・・」と質問すると、やはり例のジンバブエ産の石だと言う。磨くと先ほどまでの荒々しさからは想像できないほど、艶やかな黒の面となる。

空間を仕切る障子は敷居が無く下がすっきりした表情で、上部の鴨居から吊られるようにして設置される。この鴨居も長押(なげし)と一体化されできるだけ線を消去され、更に角に柱を立てずに上部から束で吊られるようにして、空間に開放感を与えるように気を使われて設計されている。外部の蔀戸(しとみど)をつるす長押を吊るのも細い丸鋼だが、これも酸化処理をかけられたのか、周囲の材に溶け込むような色となっている。

畳に座り、しばし風にたなびくヨシを眺める。ガラスの存在も、屋根を支える細い鉄骨柱もできるだけ存在を消すように、技術を駆使して繊細に設計されている。目に入ってくるものはすべてが自然素材かのように。

その風景を眺めながら考える。建築とは、空間とは、こうも奥が深いものかと。

15代もかけて培われてきた素材への感性。それを空間に拡張されてできあがってものに身をおくと、すべての角まで神経が配られ、すべての線まで意識して配置されている設計の細やかさと、あくまでも人が素材に触れることで空間が生まれることを熟知した素材への意識。

贅沢とは、行き着くところ、如何に手間と知識と技術を使って、新しい価値を作り出すか、それを分かり合えるものだけで堪能するかに尽きるのだと思うが、その為に建築に関わるものとして何を理解し、何を身に着けないといけないのかを激しく教えられるような空間体験。

見えないように存在を消す為に、ディテールを把握し、素材を使いこなし、施工まで理解した上での設計で目地を合わせるのは基本中の基本。表現するものを表現する為には、如何にその他を背景へと沈み込ませられるか。その為への建築家としての職能は相当高いものになる。

水も光も風も音も素材の一つとして扱えるようになって、始めて挑戦できるその上の高み。先は長いが、少なくともそこへの距離感はしっかりと測ることができたことに満足して、琵琶湖の地から奈良へと向かうことにする。













































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