2013年7月24日水曜日

南禅寺(なんぜんじ) 1291 ★★★


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所在地 京都府京都市左京区南禅寺福地町
山号  瑞龍山
宗派  臨済宗南禅寺派
寺格  大本山、京都五山および鎌倉五山の別格上位
創建  1291
開基  亀山法皇
機能  寺社
文化財 方丈(国宝)
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百寺巡礼
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東福寺から南禅寺へ向かうタクシーの中。運転手さんと話していると京都の「上ル(あがる)」、「下ル(さがる)」に「右京」と「左京」についてあれこれ教えてくれる。

これらはグリッドが世界中に均質に引かれているユニバーサル・スペースではなくて、ある基点を中心に「場」が広がるように展開する不均質な東洋の空間の考え方で、つまりは「天子は南面す」と言われるように「君主が南を向いて政治を執る」という当時の中国の慣わしに従って、南を向いて座られる天皇を基準にして場所が確定されることによるという。

南に向かって座る天皇から見て、右に見えるのは西の右京。逆に左に見えるのが東の左京。これと同じように、天皇に近づく方向、つまり北に向かってに移動するのが上ル(あがる)であって、逆に天皇から遠ざかる方向、つまり南に向かって移動するのが下ル(さがる)。

南禅寺近くの角を曲がると、ここは関西電力の蹴上水力発電所の遺構が残っており、チラッと1891年完成という赤レンガ造りの雰囲気のある建物が見えるのを教えてくれる。

それらに「ほうほう」と聞き入っているうちにあっという間に南禅寺境内へ。「すぐそこが三門だから」という言葉通りに、タクシーから降りたら左右を溢れ出るのではと思うほどの緑に色づいた様々な木々の先に見えるのはまさに巨大な三門。

この南禅寺(なんぜんじ)。言わずと知れた臨済宗南禅寺派の大本山。日本最初の勅願禅寺、つまり天皇の要請によって建立された禅寺で、当然の様にその位も日本の全ての禅寺のなかで最も高く、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いとされている。1325年にはかの夢窓疎石もこの南禅寺に住したとされる由緒ある寺院。

高校の卒業旅行で来たことがあるという妻はしきりに「なつかしいわー」と嬉しそう。遠近法を無視するようなその巨大さに目を取られてしまうが、そこまで伸びる参道は微妙に勾配がついている坂道。更に三門手前の階段は、近づいてみると良く分かるが一段一段が膝高程ある急勾配。恐らく通常の身体スケールの階段を使うことで出てしまう奥行きを避けたことと、できるだけ少ない段数でこの三門の持つ巨大なスケールを表現したいいという思いの表れだと想像する。

一日歩き続けてきた後でのこの階段はなかなかきつかったが、西日を浴びながら光るその三門を見上げるのはなかなか素晴らしい光景。階段の上に立つとすでに三門全体を視界に納めることはできずに、部分として見ることになる。

この三門の上からの眺めは、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな・・・」という名科白を残したことでも有名で、それが歌舞伎の『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』っとして演じられることになるのだが、時間を考えるとこの上に上っていたら奥の方丈は閉まってしまうし、方丈に行ったらこの上には上れないという選択を迫られる。

妻に聞くと「前登ったことあるからいいよ」というので、迷わず奥の方丈へ。ちなみにこの三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、京都・知恩院(浄土宗)、山梨・久遠寺(日蓮宗)の三門と共に日本三大門の一つに数えられているという。同じく京都・知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、「京都三大門」の一つとして数えられているという。

現在の三門は1628年に藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものといい、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さが特徴的という。門の敷居となる石に腰掛け、景色を見入る老人の姿に、その圧倒的なスケール感を感じながら奥へと進む。

法堂の脇を抜けて行き着くところで待つのが国宝である方丈。大方丈と小方丈のふたつからなり、方丈前の枯山水庭園は江戸時代の小堀遠州作の枯山水庭園とされ、「虎の子渡しの庭」と呼ばれる。

薄い築地塀に5本の白い線が引かれ、その前に広く取られた白砂の中に壁に沿うように配置された石組。その余白の広さが特徴的。小方丈の庭園は「如心庭」と呼ばれ、「心」字形に庭石を配した枯山水の石庭で、解脱した心の如く、落ち着いた雰囲気の禅庭園。

他にも大・小の方丈を巡るところどころに設けられた庭園はそれぞれ趣が変えられて場所場所に心地よいアクセントをつけている。先ほどの東福寺同様にここもまた時代を超えた最高級の禅庭園を味わえる場所であろう。

方丈を後にし、南禅寺のもう一つの名勝である水路閣へと足を向ける。これは明治時代に近代化を目指した日本の情勢の中で、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路である赤煉瓦のアーチの建造物。一般的には疏水と呼ばれる。この引かれた水が、タクシーからチラッと見えた蹴上に発電所に届けられ、高低差を利用して発電が行われたという。

ちなみに現在は上水道の水源として利用されているらしく、脇の坂道を上っていくと山の奥から流れてくる水が見られるようになっている。水路は幅1mほど、深さも同じくらいありそうで、小さな魚の姿もチラホラ見られる。

京都を代表する古刹に明治を代表させるようなモダン建築のちょっと不思議な組み合わせによる風景から、様々なところでも取り上げられるこの水路閣。先ほどの水力発電所同様に、このモダン建築もまた1000年を超える都に取り込まれ、違和感のない風景として成立しているのが面白い。

折角南禅寺まで足を運んだのだからと、まだ開いている可能性にかけて駆け足で向かうのは南禅寺の塔頭のひとつである金地院。こちらの庭も小堀遠州の作庭で「鶴亀の庭」と呼ばれる名園。「今日は予定に入れてなかったがひょっとして・・・」と欲張ったが、門に着いたときには係りの人がちょうど門を閉めるところ。「あ、どうぞどうぞ」ということもなく、あっさりと閉められてしまい、決して観光客には媚びない京都の厳しさを感じ、また後日来ることにするかと踵を返す。






























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