2013年7月17日水曜日

岐阜城 1201 ★★★


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所在地  岐阜県岐阜市金華山天守閣
城郭構造   山城
別名  稲葉山城
築城   1201
機能   城郭
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日本100名城
Discover Japan「いま、見ておくべき城 100」
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生と死について想いを馳せた後、本日の最終目的地である犬山城が夜になっても見学可能か気になって、念のためにと電話をしてみる。

市の担当部署のおじさんが出たのだろうが、なんと4:30で閉まると言う。どうしたら地方都市を支える観光名所であるこの城を、観光客が多く来てもらわなければいけないこの夏に、なんと4時半に閉めるとは一体どういうことか。「ふざけるな」と声に出そうに成るところをぐっと堪え、頭の中でルートの再調整。

既に朝から数箇所回り、この炎天下も手伝い既にぐったりしてきている同行三人の姿を見ると、日が落ちるギリギリまで行けるとこまで一歩でも二歩でも近づくというモットーは明日からに取って置こうということで、今日は岐阜市周辺を見るので納得することにする。

しかし城跡というのは、どういう状態で残されていて、どういう状態で運営されているのか、別に天守に登らなくともその城がどういうセッティングで配置され、環境とどうのような関係性を持っていて、どのような面構えをしているかが見たいだけなので、入館時間に間に合わなくとも、上記のような見学が可能かどうかが知りたいのだが、そういう情報はどうもネットでは分かりにくく、電話をするが行政と言うのはどこも同じように板を割ったような回答ばかり。

金華山の上という記憶で、山の上にあるというのは分かっているのだが、それを登ったらどれくらいの時間がかかり、ロープウェーならどれくらいの時間がかかり、そのロープウェーはどれくらいのスパンで運行しているのか?

そこまで細かく事前調査はして来ない訳なので時間が押してくるとひょっとしてとんでもない距離を歩かされ、とんでもない時間がかかるのでは?と少々不安を抱えながら徐々に岐阜市内へと入っていき、遠くに見える金華山のその頂上に見える構築物らしきものを指差し、「ひょっとして、あれ?」と尋ねると助手席の父が、「確かそうだったきがするけどね」と。これはやばいな・・・と思いながら、車を駐車場に。ちなみにこの駐車場代は300円。

「ロープウェーがあるならば」ということでついて来るという妻を連れ立って早足でロープウェー乗り場に。往復およそ7分ほどで、往復で大人一人1050円。「それはなかなかのぼったくりじゃないか・・・」と思いながらも、ここから急な坂道を歩いて上がるのは無理だと諦めチケット購入。運行も15分後とにされているということで、頂上駅から城までは歩いて10分らしく、時間的にも問題なさそうである。

司馬遼太郎の「国盗り物語」において、斎藤道三が長年の夢を賭けて強固にしてきたのが木曽川の豊かな流れを眼下に納める金華山(きんかざん)山頂に位置する稲葉山城。

道三が居城としたその城は、『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほど難攻不落の代名詞であったが、紆余曲折を経て娘婿の織田信長によって攻略され、城主となった信長は中国の故事に沿って「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改められた。

「楽市楽座」が行われ、天下を狙う信長の庇護の下、大変な賑わいを見せたのはこの城下町である岐阜の町であった。しかし信長の死後、天下は家康の手に落ち、信長の孫・秀信が関ヶ原合戦の前哨戦の際に西軍に味方したために攻め入られ落城し、天守閣等は近くの加納城へと移された。

天守から眺める木曽川の雄大な流れ。
その先に広がるのは肥沃な濃尾平野の水平線。

美しい街並みと風景だと思う。この場所に 適した規模の街。そのスケール。フラットな地形に対して、ところどころで囲む山々。歴史の中でこの場所が選ばれ、そして発展し、近代という新しい価値観の中でも捨てられることのなかった街だというのが良く分かる。

そんな条件を満たしている都市はそう多くは無い。そういう意味では熊本に非常に似ているといえる。川と城と山と平地。良い街がどの時代でもやはり場の力によって生き残る条件のようなものだろうか。

そんなことを考えながら、ロープウェイから見下ろす岐阜市の風景に想いを馳せる。














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