2012年10月9日火曜日

「小説 後藤新平―行革と都市政策の先駆者」郷仙太郎 ★★


近代都市の大きな成功例といえば、オスマンとナポレオン3世のパリの都市改造と、ヒトラーとシュペーアによるベルリンの都市改造がすぐに上がるものだが、その次にくるのはどれかと頭を悩ませると結構いい位置で上がるであろう大連。北海の真珠と呼ばれ、最も美しい都市に数えられる都市を作った男・後藤新平。

明治5年の太陽暦採用に象徴されるように、近代化を一気に駆け抜けた時代を牽引した男。

日本の力になる為に、学ぶ為にはまずは英語が必要という時代。つねに公の心を心がけ、世界を見るのが進歩につながる日々。

19歳で立派な医者になった新平に対して、現代人の我々は一体いつまで勉強を続けるのか?学んだことを真っ直ぐに実践に移せる予期時代で、腕試しをしながら技術を磨けた時代で、新しい前提を元にした社会の上に立つ人が不足していたパラダイム・シフトの真っ只中、学習後側実践が適った時代ではあるだろうが、それにしても現代における糞詰まり感はどうにかしなければいけないこと間違いない。

横井小楠の

「政治には王道と覇道がある。王道は人民ための政治であり、覇道は権力者自身の為の政治である。富国強兵士道が必要な近代化であるが、士道こそ滅私奉公であり、文武両道の心である」

という言葉を現代ほど耳に痛い時代は無いのではないだろうか。

滅公奉私の心で、誰もが「自分が、自分が」と近隣との境界線を争って殺し合い、SNSで退屈な日常をドラマタイズして自我を満足させる。

当時の官費留学というものは不足分は自分で補うのが常識で、それだからこそか貪欲に知識を吸収していく新平。それこそ学びのあるべき姿で、学ぶことへの出費こそは広げても家族の枠でまかなうべきだと再認識。

「何を語り、何を戦っているかだ」

と、浪人になっても志を曲げることをせず、

台湾、満州と渡り歩いても、原理原則で物事を見据え、鉄道、築港を基にした近代都市の骨格を作り上げていく。

そしてそこに投入されたのは、まだこれからのという無名30歳代の男達。 

東京市長に請われて就任し、郵便ポストを朱塗りにし、関東大震災の焼け野原から「復旧より復興を」と新しい東京をつくり上げた名首長。

かつての麻布の自宅跡は今では中国大使館が建っており、新平によって朱に染められたポストに投函された、彼の領土問題への様々な意見が、今またこの地に届いていることだろうと想像せずにいられない。

「人のお世話にならないように・人のお世話をするように ・そしてむくいを求めぬように」

自治三訣を掲げ、ボーイスカウトでもNHKでも総裁を勤めたその晩年。総理となることなく71歳にて永眠した青山霊園に足を運ぶごとに、次世代を育てることも立派な政治家の役割で、今の東京市長はじめ、「俺が俺が」の滅公奉私ではなくて、士道をもって、スッと身を引く真の滅私奉公の体現者が新しい時代の都市を作っていって欲しいと、心から思わずにいられない。


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