2012年4月13日金曜日

語学は裏切らない


久しぶりに心が震えた。

北京に来て一週間という時間の円環が閉じる前にやっておくことがあった。

自分の身体が縮小したような不自由さから解放されるには、自ら学ぶことで体内に新しい環境へのインターフェイスを取り込むことでしかないのであれば、少しでも早く学ぶことができる環境をセットアップしようと、妻が通おうとしている語学学校の見学に早朝の出勤前の時間に付き添う。

住んでいる区の運営する職員大学内部に併設された語学学校。HP上の地図を見ても、いまいちアクセスが分からないからと、前日の夜に自転車二人乗りで下見に来たにも関わらず、10分ほど遅刻して事務室で前もってメールにて見学の希望を伝えていたものだと話を通す。

とにかく妻の為に一番初級の授業を一緒に見学してみますといい、二人そろって日本人用のテキストを借りて教室へ。

黒板の前に小太りの人のよさそうな女の先生と、4人のスペイン系と思われる女の子たちが気ままに椅子に座りながらの授業風景。恐縮しながら一番後ろに陣取って、一枚一枚カードの書かれた単語をそれぞれの生徒が四苦八苦しながら発音し、黒板に質問文に対しての回答を漢字を使って回答する姿を眺める。

何処から来たか、
何をしていたか、
どんな学校を出たか、
何の職業をしているか、
いくらくらいの年収か、
どんな家庭環境か、

そんなの全部関係なく、
この国でこの国の言葉を覚えようと、
必死になってるという共通点だけで結ばれた関係。

初めてロンドンに渡った夏に二週間だけ通った語学学校。
その時の風景が二重写しになったような眩暈を感じる。

毎日新しい課が与えられ、
昨日よりも今日の方がベターになっている自分を確認し、
そしてまた明日はもっとと足を進める。

語学の学習ほど、
費やした時間を裏切らないものは無い。
生まれつきの才能に関わらず、
誰にでも公平に、
学んだだけだけ話せるようになる。
費やした努力が確実に前に進むエネルギーとなる。

学ぶことが純粋に喜びであることの再認識。
そのことを目的に毎日を過ごすこと。
そんなこれからの妻が純粋に羨ましいと思うこと。

そんなことを感じていたら、
久しぶりに心が震えた。

50分でもいい。自分も毎朝学ぼうと決めて、
帰りがてら入学手続きを済ませる。

帰ってテキストを開き、新しい単語に出会うこと。
明日授業で昨日言えなかった気持ちが言えること。

そんなささやかな楽しみを胸に、
一週間の円環を閉じることにする。

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