2012年4月8日日曜日

剥き出しの喜怒哀楽


昨日、妻のドライヤーを買うために訪れた北京市内の家電量販店:苏宁电器 sūníng diàn qì


ネットでの評判は上々だったので、恐らくヤマダ電機的なポジショニングかと想像をしながら、わざわざ2キロほど歩いて行ったは良いが、ナノイーとイオンの違いなど説明できるわけもなく、展示しているくせに在庫がないからとPhilipsのごついドライヤーではどうか?と言い出す始末。

だからナノイーじゃないと駄目なの。といっても結局理解される訳は無く、誰か英語わかる人をお願いしますと登場した女性も笑顔で一体いつ入荷するかは我々は分からないと・・・

じゃあどこで見つけられるんだ!他の支店は?他の店舗は?と聞いても埒が明かない。もどかしい言葉の壁に怒りと悲しみが沸騰する。

そうかと思えば、道中に見つけた自転車屋で、マンションの大家さんが使っていいと置いてあった自転車では、二人乗りをするには後ろで妻が腰掛ける形になる荷物台がついているのだが、それだと腰が痛くなり、段差もお尻が痛いと言うので、子供のころ禁止された二人乗りの立ち乗り様のバーが無いものか聞きにいく。

子供用のやつだろ?と言って取り出してくれたのは、バーよりも安定感抜群おペダルの様な踏み台。これはいいと、妻と揃って有頂天に。ついでに夜間運転も危険なので、前と後ろに証明を設置してもらうことにし、盗難防止に両方とも取り外しが可能なものにしてもらう。ついでについでにと、ブレーキの調整、タイヤの空気補充、チェーンの油差しなど全部見てもらう。やはり三丁目の世界だね、となんだか納得。

早速立ち乗りで妻を後ろに乗せて、上空の枝に気をつけてとスピードを上げるとなんだか高校生に戻ったような気分に浸れ、楽しい日曜の昼下がりを満喫する。


言葉が不自由だと、できることが限られて身体も精神も数十パーセント縮小する様なもの。つまり世界が小さかった子供の頃に戻った様な感じで、あの頃同様に感情もまた境界が明確となる。

そんな剥き出しの感情と付き合いながら、飽和の世界とは違う、足りないからこその幸せを楽しみながら生きていくことが重要なのだろう。

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