2012年3月15日木曜日

日本人としての自分


今日は、半年間北京のMADにインターンとして勤めてくれた日本人が東京に帰ってくるというので挨拶に寄ってくれた。必然的に話にあがるのが、建築家として海外で働くことについて。

彼は大学からアメリカに渡り、そこから中国に渡ってインターンの経験をして、これからどういう風に時間を過ごすかに悩みを感じているという話を聞きながら、最近読み直している本にあった言葉を思い出す。

あるジャーナリストがロンドンで活躍するバレエダンサーに「大変でしょう?」と質問したら、大変不機嫌に返答をされる。

「別に大変ではない。言葉を覚えたり、食事に慣れたり、受け入れられるまでは大変だが、そのあとは普通にやっている。普通にやっていけるようになるまでが大変なのだ。

日本人には分かりにくいが、ロンドンにも多くの日本人がいるが、そのほとんどが日本を背負ったままここで暮らしている。日本を背負わずに向こうの生活に馴染めば、普通に暮らせるようになる。」

と。

確かに始めはとても大変だ。当たり前の日常から違う当たり前に飛び込むのだから、それに時間がかかるのは当然。頑張ってか、受け流してかはその人次第だが、次第に新しい日常に身体を溶け込ませ、言葉も食事も会話も徐々に慣れ、いつの間にかそこにいる自分が当たり前になり、今度は仕事に慣れてくる。その頃には恐らく一年程度が経過しているころだろうか。

そんな月日が過ぎ去って、数年ほど経つと訪れるのは「日本人である自分」との向き合い方。

どんなにその国での生活が日常となっても、どんなに一職業人として自分の居場所を確保しても、馴染めば馴染むほどに向き合うことになるのは自分のアイデンティティー。

ガラパゴスになればなるほど対岸との距離は開き、こちらから見てもあちらから見ても距離は一緒という訳で、かつて渡ってきたその距離に、いつかは同じように渡って帰る自分の姿があるのかないのか、その時のガラパゴスは当然のごとく、違う当たり前として現れてくるであろう恐怖心。

その恐怖心を受け止めてガラパゴスに背を向けるもよし、一度消化するためにガラパゴスに戻るもよし。

いずれにせよ、一度は自分で「日本人としての自分」を自己内解決しなければ、真の意味での一日本人から一職業人にはなれないのだろうと思いを馳せる一日。

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