2004年11月10日水曜日

「The Station Agent」 トーマス・マッカーシー 2003 ★★★★
















そういえば、日本であまり小人症の人を見かけた記憶がない気がするのは気のせいだろうか?ロンドンで友人の開いたパーティーに招かれたとき、小人症の彼等が颯爽とサーブをしている姿が妙にかっこよく見えたのを覚えている。彼等が社会の一部として認められているというよりも、日本に蔓延る「異型」=「奇形」と見なす兆候と、それに立ち向かうことのない日本人の気質みたいなものがそうさせるのか?

この映画はオープニングとエンディングが妙に印象的だ。オープニングは30台後半であろうと思われる中年男性のタバコをふかすアップから次第にカメラが引かれ、突然彼が小人症であるという事が晒される。彼の一種堂々とした振る舞いとその顔つき、そして肢体のアンマッチが差異として飛び込んでくる。それとは逆にエンディングでは、なんのとりとめも無く突如的に物語が終わってしまう。普通の映画のようなハッピーエンドや、デウス・エクス・マキナを期待するでもなく、ただ突然のように終わりを迎える。

小人症の主人公フィンは、自分が社会に置いて異形として見られる、興味の視線に対しての嫌気から社会に対してできるだけ接点を持たないようにする為、劇中殆ど口を開かない。恐らく今迄で見た映画の中で一番台詞の少ない主人公だろう。そんな彼がある時、数少ない友人から冷たくあしらわれ、普段行かないバーで泥酔し突然カウンターの上に上がり「Here I am. Look at me!」と叫ぶ。そんな彼に邪気の無い接し方をするジョーがある質問をする。「セックスをしたことがあるか?」と。続けざまに「それは普通の女だったのか?」。「同じような女としたいと思わないか?」と。そう聞くことが、ジョーがフィンを同じ人間だと扱ってるかのように。

子供を亡くした中年の絵画の好きな女。親父の病気のお陰でホットドッグ屋を代わりに営む、心優しいスペイン系移民。電車マニアの小人症の男。誰も来ないような図書館に勤め、妊娠しフィンにだけ心を許せる若い娘。家の裏の放置された電車を遊び場とする黒人娘。

どこにでもありそうなアメリカの田舎の風景で、ふとそれぞれの人生が交差する。ジョーの心のそこから人生を楽しもうと、誰にでもすっと入っていこうとするその姿勢がそれを生むのだが。友人とはその人が何者であるかよりも、こうしてふと交差するタイミングを誰かが引き寄せてくれるかなんだと言うことだ。

終わりが唐突だったが、なぜか心地よい感じを受けた。

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