2011年11月6日日曜日

東京の行方 

先日、中国人のパートナーも参加したCREATIVE TOKYOフォーラムを拝聴してきた。

CREATIVE TOKYOとは、経産省主導で進められる東京をアジアのクリエイティブ・ハブとする構想で、産官学と街が一体となりクリエイティブ産業の育成、多様な関連イベントの実施、広報・宣伝活動、関係者の人的・知的交流、環境整備等を行うことで、アジアの創造的な人材や情報、資金を誘引し、日本に新たな産業と経済の可能性を開く試み、ということらしい。

「クール・ジャパン」の次は「クリエイティブ・ハブ」として、マンガやゲームなどのサブカルも産業として取り込んでオール・ジャパンで頑張っていこう。ということらしい。

朝から会場に行って、第一部で松岡正剛さんの話を興味深く聞く。

藤原三代もバサラもさびもコスプレも全部日本だとして、日本には様々な日本があって、それはJapan(s)として存在している。それを海外に伝えていく努力を戦後我々は怠った為に、海外の人にとって平泉の意味を理解するのは非常に難しい状況を生み出してしまったとして、これからは行政と一緒になってそれらのJapan(s)を伝えていく。そんな話から「あわれ」と「あっぱれ」が同じ言葉から派生している事や、あれやこれやと話が進む。

二部はかつてシドニー・オペラ・ハウスの代表をされていて、現在はWest Kowloon Cultural District Authorityの代表をされているマイケル・リンチ(Michael Lynch)さんらが登壇し、建築界にとって注目の開発地区の話をされる。ぜひMADも招待されたいと願う。

パートナーのマ・ヤンソンが3部に参加するので、3部はじっくり聞かせてもらう。

モデレーターは森美術館館長の南條史生さん。

激しい色彩が特徴のインド人のファッション・デザイナーである、マニッシュ・アローラさん。

「日本は上品すぎるのをやめるべきだ」というチームラボ代表の猪子寿之さん。

家具デザイナーで神戸育ちのレバノン人ナダ・デブスさん(Nada Debs)。

アーツ千代田3331を統括し東京ファクトリーとして東京の新しい可能性を探るアーティストの中村政人さん。

気候区分で日本を見たときに、特産品として家の可能性を探るデザイナーの原研哉さん。

ザハ・ハディドやSANAA、西沢大良など国内外のクリエイティブな建物を担当されて、エンジニアリングのクリエイティビティを追求される構造エンジニアでARAPの金田充弘さん。

20歳で渡仏、25歳で自らのレストランをニースにてオープンし、ミシュラン一つ星を5年連続で獲得し、東郷神社に建つRestaurant-I 総料理長の松嶋啓介さん。

シナスタジア(共感覚)理論などで音楽と映像を融合させるゲームクリエイターの水口哲也さん。


国が本気になって考え出したイベントに、恐らく多くの候補の中から選ばれた人だけあって、それぞれにとても面白い話であった。まさにこの人々がある一面、今の最先端の東京ということでもあろう。

中でも原研哉さんが言っていた様に、現在の東京は超過密都市だけど、それは一時の現象で、今後日本の人口は減少して2050年には9,203万人に達する予測がでており、その時に東京の在り方、住まい方というのはまったく違ったものになってくるだろうと。

そんな話を聞きながら、20、30代の我々は何て大変な時代に生きることになるのだろうと思わずにいられない。

バブルに象徴される好景気時期を経験することなく、そのツケといわんばかりの様々な歪を抱える現代に、窮屈ながらも肩を寄せ合いながらけなげに生き続け、これから生まれ人口1億以下の社会で予想される、空間にも時間にもゆとりをもった社会生活を享受する世代の中心になることなく、その基盤をつくる大変な役割を担わなければいけない。

そんなことを思いながら、結局クリエイティブ・ハブとはどんな場所だろうか?と思う。

いつの時代になっても、音楽やアート、建築を志しロンドンやNYを目指す人が絶えることがない。中国であれば、これだけ経済的に発展した上海という大都市があっても、それでも90%以上のアーティストは北京に集まってくる。

才能のある人がより大きなステージに向かうことができる場所。

若い夢を持った人が、国境も関係なく住みたいと思って集まり、限られた経済事情でも豊かな制作環境と人的環境を得ることができ、都市に刺激が満ちている場所。

そんな魅力がある場所がそうだろうと思う。それが今の東京にあるとはとても思えないし、これからそうなるかとも創造しがたいのが実情だろう。

日本のクリエイティブ産業の問題は、各世界において頑張っている人がいると、すぐにメディアが飛び付いて、あれやこれやと自分達の分かりやすい形、扱いやすい形に調整をし、そこそこの経済的豊かさを与えて消費し、次の商品はないかと使い捨てる。社会に分かりやすい、伝わりやすい形に調整をかけられ、そこそこのお金を手にする人は、不自由さを感じながらもどんどん丸く、社会に馴染んでいってしまう。そのプロセスでメディアが捕らえる社会というのは、日本国内のみしか見ていないので、馴染む社会もどうしても国内仕様となってしまい、結局はガラパゴス化を加速させ、国内での満足の構図、海外に通用しないという構図にしてしまう。

東京はとても大きく、本質が見えにくい街だからか、その危機的状況もまた見えにくい。

根本は目先の話題や、ヴィジョン無き消費合戦を傾倒するメディアの功罪は否めないだろうが、ここまで来たら小手先の治療ではジャパン・パッシングは止められない。その為には、5人くらいの本当に優秀な30代40代にシナリオを書いてもらって、世界から優秀な若手クリエイターに1億くらいの報酬を渡して東京に何年か住んでもらって、逆に優秀な若者を50人くらい選出して各国のクリエイティブな現場に送り込む。それくらいの思い切った手術が必要だと思い知らされた一日。

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