2011年3月6日日曜日

知恵袋

ご飯の味付けがちょっとおかしいかな・・・と思った時に感想を聞かれてしまった時などに、微笑みをたたえながら、机の下でスマートフォンを使ってのベストアンサー頼み。

そんな切羽詰った状況に使う袋が正しい気がする。

第一、問題に対して答えを聞いては不足しているのは知恵じゃなく、知識だと思うのだが・・・

もっとおばあちゃんの知恵袋的に、答えの無い事柄に対して、長年の経験から導かれるのが納得というもので、少しは人生の機微があることが必要条件だろう。などと思いながら少し考えをめぐらせる。

この冬も終わりが近づいた試験シーズンに、そんな問題が知恵袋に投稿されれば誰もが怪しむもので、少し考えが回る奴は、そういう輩が試験会場にいると見越し、自分は投稿せずに、閲覧のみをしてチャンスを待つ。

書き込まない限り、ネットには痕跡は残さないということなら、ただただ需要と供給の一致する日に試験会場に居た幸運に感謝し、入学式を待つ若者が今現在いないとも言い切れない。

一人の投稿者が吊るし挙げられて、彼よりもはるかにさもしく、こうなることをいとも簡単に予想していたネット時代の若者が、丸写しではなく、サイトに掲載された答えに手心を加えて提出し、大学側がどれだけ人の眼で確認しても、コピーの痕跡がみえない限り、冗長性の網の目にかかることなく、罪悪感の欠片すら感じず、ほくそえみながら正門をくぐる日も近いのかもしれない。

などなどと考えると、ネット時代のパノプティコンに真剣に向き合う必要性が現実味を帯びてきたのだと実感する。

まぁそれ以前に縁故にて進学・就職する人数の実態はどれほどか感がえると、入るよりも出る方のハードルを上げることが、あるべく姿なきがするが・・・

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