2008年12月19日金曜日

手の届いた、足の裏の米粒

数日前、年配の建築関係者の方がこう言われた。
「私たちの時代は建築士の試験は足の裏の米粒といわれ、取っても食べられないが、取らないと気持ち悪いといっていたのだけどね」。

そして今日。本年度の一級建築士試験の合格発表があり、季節はずれの桜咲く結果となった。もちろん替え玉なしの正面突破。

いつかの会話の中に今日発表だということを覚えていてくれて、受験番号も分からないのに個人情報垂れ流しの建築技術教育普及センターのホームページで丹念に名前を探し、まっさきに電話をかけてくれた高校からの親友よありがとう。

火鍋を囲んで、北京時代さながらに祝いをしてくれた北京仲間たちに多謝。

いやー、なんにもしてないけど、なんだか幸せになりますねー。と自分のことに様に喜んでくれたロンドンの時の友達に、心を温められた。


ものを創る人間にとって、あなたはこれこれこの規模の建物を設計する資格がありますよ、という国家資格なんてものは、それこそ足の裏の米粒のものなのかもしれない。

昨晩あるテレビ番組での特集で、原油なき中東の小国の政策として「世界最高、史上初・・・」と銘打った都市開発を進めてきたドバイが、11月12日のバブル崩壊によって露呈した「建設」と「崩壊」の同時進行する、マネー経済のなれの果ての住民無き未来都市の有り様と、その街角に掲げられていたかつてのクライアントの広告を目にして、造る能力だけが建築家の資質ではなく、何を創りたいと想い、如何に建築が人を包んで空間となり、そして環境の中にどのように生かすか、そういう試験制度では決して図ることのできない眼差し方が、遥かに大切なんだと改めて実感した。

世間に向かって胸を張って建築家ですと言えるようにはなるのだが、自分に向かって自信を持ってそう言える日までの道は長そうだが、数値に置き換えることのできない建築家としてのクオリアと、同じものを見ようとしてくれる目の前のクライアントにむっすぐに向かい合うことが、唯一の近道なんだろう。

1 件のコメント:

  1. 一級合格おめでとうございます!

    ロンドン時代の早野さんに一度だけお会いしたことがあります。

    偶然にも今、私は北京です。

    これからは東京から届く風の便りで
    早野さんの益々のご活躍を楽しみにしています。

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