2019年9月14日土曜日

「プラハを歩く」 田中充子 2001 ★★


チェコのプラハで行われるreSITEという都市・建築のシンポジウムに参加するために、初めてプラハに出向くことになった。そんなことは話していたら、ちょうど夏休みにプラハとウィーンを回ったという友人から、「戻ってきてから存在を知って、手にしたら結構面白かったので、プラハに行く前に読めばよかった」と言われて借りた一冊。

著者は建築史を専攻し、京都精華大学で建築を教えていらっしゃる田中充子さん。どっぷりプラハにハマった様子が伝わってきて、実際にその街で時間を過ごした人らしい視点と、そして歴史を学んだ専門家の二つの視線を交えてプラハという一つの都市をじっくり解説している。

プラハといえば、世代的に浦沢直樹の漫画「モンスター」の舞台としてのイメージが強いが、本で紹介された様々な時代の建築を廻り、「建築博物館」や「百塔の街」と呼ばれるその歴史を少しでも感じてこれればと想いを馳せながら、あわよくばとミュラー邸やトゥーゲントハット邸に足を運べることを祈ることにする。

2019年8月24日土曜日

「線は、僕を描く」砥上裕將 ★★

週末に書の稽古に通うようになった為か、新聞の書評で紹介されていた時に同じ墨の文化として気になっていた一冊。

先日札幌に出張に出かけた際に、せっかくだからと北海道大学のキャンパスの雰囲気を見に行こうと夜の散歩に出かけ、正門前でとても良い雰囲気を出していた古本屋に吸い込まれるようにして立ち寄ったら、ちょうど棚にこの本を見つける。きっと多感な年頃の大学生が買って、売りに出したのだろうと想像しながら、何かの縁だと購入してみる。

心に傷を負い自分の世界に閉じこもっていた大学生が、ひょんなきっかけで出会った水墨画を通し、水墨の世界の大家と呼ばれる先生や同年代の絵師など、様々な人との交流を経て、徐々に水墨画の魅力にとりこまれ、そして周りの世界との関りを取り戻していく物語。


墨を磨り、筆を浸して白紙に描く。どれだけイメージをしても、どうしても思うように書くことは叶わず、次の白紙に向かうことになる。何百年前にも同じように、この文字を悔しい思いをしながら書き続けていた人がいたのだろうと、邪な想像を膨らませると、また文字のバランスを崩してしまい、また白紙を重ねることになる。
そんな墨と筆が与えてくれる書の時間は、詰まるところ、自分自身と向き合う時間なのだと徐々に気づき始めた時に出会う、また別の墨の世界の物語。大学前の古本屋に並んでいたのにふさわしく、とても爽やかな読み心地をもたらしてくれたために、読み終えた後の最初の書の稽古にて、先生に紹介すると、ぜひとも読んでみたいとおっしゃっていただいた。

毎週末、学ぶものとして足を運べる場所があるということ。「日日是好日」 のお茶のお稽古の世界の様に、先生がいて、共に学ぶ人がいる。長い道のりの学びではあるけれど、季節の移ろいを感じながら、去年より少しだけ前に進んだ自分を感じられながら進む人生は、やはり日本人に合っているのだろうと思いながら、今週末に書く文字に思いを馳せる。

砥上裕將 

2019年1月1日火曜日

Studio Dwelling at Rajagiriya_パリンダ・カンナンガラ(Palinda Kannangara)_2015 ★ ★ ★ ★ ★


今回、思い切ってスリランカまで足を伸ばそうと思った理由は二つあった。一つはジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa)の建築を実際に観て体験すること。そしてもう一つは2018年のRIBAアワードを受賞したスリランカの建築家パリンダ・カンナンガラ(Palinda Kannangara) さんのオフィスを訪れること。

How I Live  Sri Lankan architect Palinda Kannangara

RIBA Award for International Excellence 2018
スリランカの現代建築を調べているうちに、とても質の高い住宅の作品が多くあるのを知ったが、その中でも特に内部と外部がうまい具合に接合し、とても心地よさそうな空間で微笑んでいるパリンダさんの写真が気になり、思い切ってオフィスにコンタクトを取ってみると、快く訪問を受け入れてくれた。

スリランカは正月が4月になり、年末年始といえども通常通りとはいえども、まさか1月1日を指定されるとはなんとも驚いたが、その日のアポイントから逆算し旅程を立てて、スリランカを反時計回りに巡り、大晦日にコロンボに戻ってきた。そして元旦の午前中にバワのNumber 11を訪問し、午後にパリンダさんのオフィスを訪れるという、なんとも建築色の強い一年の始まりとなった。

コロンボから東に向かい、小さい頃その特色のある響きのために何度も友達と言い合ったスリジャヤワルダナプラコッテに入る手前に位置するラジャギリヤ (Rajagiriya)。分かりづらいだろうからと、オフィスの若いスタッフの子とやり取りをして、近くの交差点で合流する。

バラックのような商店が道沿いにならび、緑の生い茂った中にポツポツと住宅が立ち並ぶ風景のなか、少し脇道に入ってしばらく進むと、それらしき建物が右手に見えてくる。非常にシンプルなコンクリートのフレームに日焼レンガを嵌め込んだファサードの下には、ピロティを利用した駐車場が敷地の反対側に広がる湿地帯からの風を運んでくれる。

駐車場脇の扉を抜けると右手にこちらも風の抜ける大きな階段が広がり、上りきると切り取られた湿地の風景が待ち受けてくれる。脇に置かれたベンチに座り、靴を脱いでガラスの扉を抜けると、巨大なアコーディオンタイプのガラスサッシを左手にもった、とても気持ちの良い吹き抜け空間。そこで、髭に覆われた大きな笑顔で迎えてくれるパリンダさん。簡単な挨拶を終えると、すぐにオフィスを案内してくれる。二階はオフィスとして使用していて、数名のスタッフが進行中のプロジェクトの設計を行っているという。3階から上は自宅で、仕事の間は上にいて、時折下に降りてきては打ち合わせや指示をしているという。

3階の寝室も両開きの大きな窓が湿地に向けられ気持ちのよい風が抜けていく。南のレンガのスクリーンの後ろも吹き抜けになっており、ここから風が上に抜けるようになっているようだ。

4階は南北に狭い空間が、3枚引きのガラス戸で翠いっぱいのテラスにつながっており、自然の中のパヴィリオンといった雰囲気。風も虫も流れて、自然に溶け出すようなとても心地よい空間。真ん中に置かれた大きなアイランドキッチンで甘いお菓子とお茶を用意してくれ、あるアーティストの家のために作ったというソファーテーブルの周りに座りながら様々な話を聞かせてくれる。音楽好きだというので、あちこちに組み込まれたスピーカーから流れる音楽もまた、外の自然の中に消えていくような気がする。

裸足のままテラスに降りて、湿地に広がる自然を眺めながら、この国の状況やバワを経て現在のスリランカの建築事情など話をしている中でとても印象的だったのが、「自分は自分の手の届く範囲で仕事がしたい。だからスリランカと南インドでプロジェクトをするだけにしている。その方が自分が幸せに仕事をできるから」というパリンダさんの言葉。

この住宅兼スタジオも、土地を購入してから、資金がなかったのでなかなか建設ができなかったが、お金が入っては進めてと時間をかけながら建てたんだと教えてくれ、裸足であちこちを動き回る姿そのもので、とても地に足の着いた建築家との印象を受ける。

気が付けば数時間が経過しており、元旦の日の快く受け入れて得くれたことに感謝を伝え、妻と二人、とても強い幸福感に包まれながらコロンボへの帰路に就く。建築とはどうあるべきか。自分が信じていることが設計にどう反映されるのか。人生の多くを過ごす場所がどうあるべきか。いろんなことを考える貴重なきっかけになる、そんな重要な訪問であったと、今後の人生で何度も思いなおすことになるだろうと思いながら。














ナンバー11 (Number 11/ House No 11)_ジェフリー・バワ (Geoffrey Bawa)_1960-1970 ★★★★


スリランカを代表する建築家ジェフリー・バワ (Geoffrey Bawa)。自然と融合するような建築を作り続けたバワの作品は現代においても多くの人に愛され、建築だけに留まらず様々なライフスタイルに関連して日本でも多くの雑誌やメディアで取り上げられ、その名を知っている人も増えてきているようである。

そんなバワが首都コロンボにおいて、住居として小さな家を買い、横の家が売りに出れば徐々に買い足して、事務所を兼ねながら30年近く住み続けたのがこのナンバー11  (Number 11/ House No 11)。11番は住所から来ているのだが、写真からではなかなか理解できないこともあり、ぜひとも足を運んでみたいと思っていたのが2019年の元旦に実現する。

バワ財団が運営する見学ツアーに申し込み、指定された時間に現地に到着すると、気持ちの良い住宅街の、車が一台通れるだけの細い道の突き当りが目的の11番地のようで、家の前には同じツアーに参加するとみられる人がすでに数名待っている。

時間になるとガイドの人が家の中に招き入れてくれて、まずはホールで説明のビデオを鑑賞し、バワがどのような人物で、この家がどのように使われ、拡張されていったのかなどの説明を受ける。そして再度入口に戻り、ガレージに停めてあるバワの愛車であったというロールスロイスを見ながら、ツアーの開始。

この道路に面した部分が一番最初に購入した住宅部分で、この部分だけ3階建てとなっており、2階にはゲストルーム、3階には屋上テラスとなっており、予約をすると、一日二組のみ宿泊することが可能という。

ロビーから長く続く白い通路の途中には、天窓からの光を受けたフクロウのオブジェが飾られており、その付近には小さな椅子などが置いてあり、廊下と言えども、単調な通路にすることなく、少し折れ曲がったところに小さな「場」を設ける意図が本当に様々なところに感じられる。ちなみにこのフクロウは友人であったアーティストのラキ・セナナヤケの作品。

通路の突き当りには小さな中庭を通して日の光が差し込み、その下には、小さな水盤が設けられ、デザインされた注ぎ口からチョロチョロと水が流れ落ちる音が、空間に色合いを付けている。

友人のアーティストが描いたドアや作品などが飾ってあるコーナーにも、しっかりと異なったデザインの椅子やテーブルが置かれており、ここにも小さな’場’。

その先はバワのプライベート空間ということで、ここからは撮影禁止となるのだが、寝室、リビング、ダイニングと、様々なところには、小さなころからオランダ系の裕福な家庭で育ったバワが世界中様々なところを旅し、気に入った雑貨や家具をわざわざ船で送って収集したというコレクションが、とても感じよくレイアウトされており、モノが多いのだが、それでも全体が統一され、とても心地よい生活空間となっている。

ダイニングからは一番東側にとられた中庭に出られるようになっており、大きな木を見ながら食事をとることができるようになっていたりと、nLDKのような現在の日本の住宅とは違い、家の中の様々な場所に座ってくつろげる場所があり、それがそれぞれ違った空間となっており、さらに外部に中庭を持っていたり、天窓で光が入ってきたりと、それぞれの場所が光の変化とともに雰囲気を変える、豊かな空間となっている。

一階部分だけでも数えると、15か所以上の中庭か天窓のある空間があるようで、それぞれの場所にはそれぞれの空間にあった椅子やテーブルが置かれ、場所によっては小さな水盤が設置されていたり、水の入った大きな桶が置かれていたりと、光、水、風、緑が組み合わされた空間になっている。

ロビーに戻り二階に上がっていくのであるが、建築を学んでいるものであれば、この階段はどこかで目にしたことがあるだろうというくらい有名な階段。非常にシンプルに、踏板も壁も天井も、白一色で塗装されているのであるば、手が触れるところは絶妙に縁を落として曲線にしてあったr、スティール製の手すりも端部がぐるぐると円を描いていた、床と壁、壁と天井の一部分もシームレスで繋がられていることで、光が滑らかに落ちてきたり、上がっていくと見えてくる窓からは外の緑が切り取られていたりと、この小さな空間でもどれだけ心地よい空間として設計できるか、機能を超えてこの場がどうしたら自分の性活を豊かにしてくれるか、それを考えて考えて、何度も変えながら作っていったのが非常に伝わるようになっている。

そして到着する二階は現在は宿泊客がゲストルームとして使える場所。壁一面に張られたタペストリーの前には大きなラグが二枚敷かれており、それぞれ雰囲気の異なるソファーセットが置かれている。このタペストリーがかけられている西側と北側の壁には開口部は取られておらず、デスクが置かれている東側と、テラスに向けた南側の開口部から光が入っているようになっている。この二つの開口部からの光がほぼ室内の光の質を決めてくれ、大きな部屋の中に明るい場所と暗い場所と差異のある空間を作り出している。

もちろんテレビなんかなかった時代であろうし、たとえテレビがあったとしても生活空間に置くような人でもなかったであろうが、そんなときに家具のレイアウトをどう決めていったのかと考えると、これは結構面白いスタディになりそうであるが、一か所のラグには大きなソファとその前に置かれた高さの抑えられたソファーテーブル、その周りにバワ設計だという木製の椅子。もう一か所のラグは、南側の窓にむけて丸テーブルを囲むように少しモダンな椅子が置かれる。

天井には一切照明は設置されておらず、部屋のあちこちに置かれた照明によって夜はそれぞれの場所が照らされるようになっており、その日のその時の気分によって、いろいろな場所を選びながら、椅子に座って、本を読んだりしながら、疲れるとたまに外の緑を眺めていたりしたのだろうかと想像を膨らませる。

さらに階段を上がると屋上テラスに出る。こちらも場所によってことなった家具達が置かれ、それぞれに異なった時間を過ごせるようになっている。こんなテラスで朝食を食べたら、さぞかし素晴らしい気分で一日を過ごせただろうと想像しながら、階段を下りてツアーを終える。

一時間程度のツアーであるが、とても多くの場所とそれぞれにバワの思い入れのある設計と、雑貨や家具などがあるために、とても密度の高い内容となっている。住まう場所はやはり広さではなく、光や風を意識し如何に外部とそして自然とつなげた空間をいくつも作り、一日の中で自分で場を選んで時間を過ごせるかどうかが、豊かさなのだと改めて学ぶことができるとても良いツアーであろう。




















2018年11月9日金曜日

ディルイーヤ(Dir'aiyah) 世界遺産



少しだけと思って昼寝をすると、あっという間にコンシェルジュにお願いしていたタクシーの到着時間に。さすがに疲労を感じながらも、折角だからと身支度をし、ロビーに下りていくと、今度はエジプトから来ているという陽気そうな運転手。英語は大丈夫という割りに、行き先を伝えてもなんだか不安な表情に、こちらが不安になり、日本から持ってきたガイドブックを渡して、ビジュアルで伝えることに。

そして向かったのはリヤドの西、20キロの場所に位置するディルイーヤ(Dir'aiyah)という小さな都市。現在のサウジアラビアの元となるサウード王国。その王国は途中オスマン帝国との間で展開されたオスマン・サウジ戦争によって敗れ、その後復興したために、前期を第一次サウード王国、後期を第二次サウード王国と呼ばれるようであるが、その第一次サウード王国の首都であったのがこのディルイーヤ(Dir'aiyah) ということらしい。

1740年代に都市化された場所らしいが、かなりの規模を誇っており、その中でも中心であったトライフ地区には、当時の建築様式であるナジ建築(Najd Architecture)の遺跡が多く残るいうことで、2010年には文化遺産としてユネスコの世界遺産に登録されている場所という。

この国の、そして地域の建築にかかわることになるかも知れない身としては、これはなんとしても見ておきたい場所であるということで、ガイドブックに掲載されている写真を手がかりに運転手に説明するのだが、世界遺産に登録されるほどの場所であるが、あまりピンときていない姿を見ると、この国において観光というものがどれほど浸透していないかと実感しながら、それらしきところに到着する。

電話番号を教えられ、「見終えたら電話してくれ」と言ってくるので、「いやいや、折角だから一緒に行こう。車は少し離れた駐車場に停めて、そこから歩けばいいからさ」と説得し、こんな状況もわからないところに一人で野放しされるのだけは避けることにする。

ディルイーヤの中心地はワーディー・ハニーファ(Wadi Hanifah)と呼ばれる谷を挟んで広がっており、北側はAl Bujairi Heritage Parkと呼ばれる公園を中心にして、かなりの商業化が進んでいる様子で、アバヤやソーブに身を包んだ多くの地元住民で賑わっている様子である。

旧市街の建物は日干しレンガで作られており、壁も床も同じ茶色で風景を統一しており、新しい建物も同系色の石を仕上げ材として利用しているために、街全体がある統一感を持っている。北側の奥に位置する新しい建物と思われるモスクの脇をとおり、南に向かってあるいていくと、ゆるいスロープの先に横に広がるトライフ地区が谷の奥に見えてくる。いくつかの宮殿や公共施設が大きなヴォリュームとして点景としての役割を果たしているが、やはり同素材で街全体が作られることによるある種の美しさ、かつて移動手段が限られ、そこで確保できる素材によって建築がつくられていた時代に、世界の各地でそれぞれの地域に特色のある風景を作り出していた、そんな統一感のある風景にしばし見とれながら、折り返して建物郡の屋上に広がる庭園へと向かう。

よく観察していると、多くは子供をつれた女性たちのグループで、あちこちで走り回る子供たちに目を配りながらも、おしゃべりしながら散歩するアバヤ姿の女性たちが多く見られる。その中にも、ちらほらカップルらしき男女が、携帯でセルフィーをしている様子は、どこの国でも同じなんだと少しほっとする。

そんなこんなしているうちに、内陸部で大陸性の乾燥した気候であまり雨は降らないはずのリヤドであるが、突然空は雨雲に覆われ、ザーッツっとかなりの勢いの雨が降り出す。トランクに入っている傘を持ってこなかったのを悔やみながら、できるだけ濡れないようにとしているが、運転手も周りの地元の人も、あまり雨に濡れることを気にしていない様子。空気が乾燥しているので、一度雨がやめば意外とすぐに乾いてしまうのだろうか?と思いながらも、さらに雨脚が強まり、これはたまらんと近くのカフェに飛び込むことに。

折角だからとコーヒーを飲むことにするが、カウンターの上にも「Family Only」の大きな字。「大丈夫なのか?」と運転手に聞いてみるが、「気にするな」とコーヒーを奢ってくれる。店内はアバヤ姿の女性が多くいるために、風景の多くが黒く覆われている。コーヒーをすすりながら、その様子を観察するが、一人だけアバヤでもソーブでも無い外国人がいることを、ここにいる人たちはなんとも思っていないようである。

結局雨は一向に止む様子を見せず、キリが無いから「駐車場まで行って車を取ってくるからここで待ってるか?」と聞いてくる運転手に、「さすがにそれはハードル高いだろう・・・」と思い、一緒に駐車場まで行くよと伝え、二人そろってビショビショになりつつ、現代の首都リヤドへと戻ることにする。


行く途中で見かけた建設中の建物
現代的なデザインのモスク
地球の歩き方を手に一緒についてきてくれる運転手























Al Bujairi Heritage Park


今日は金曜日でファミリーデーということで、家族連れで賑わうコーヒーショップ

突然振り出した雨に濡れながら帰る人たち