2015年12月29日火曜日

香港国際空港ターミナルビル(HongKong Airport) ノーマン・フォスター(Norman Foster) 1998 ★★★



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所在地  香港
設計   ノーマン・フォスター(Norman Foster)
竣工   1998
機能   空港
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建築に携わる人間であれば、香港に到着した途端に教科書で見ていた建築を体験できるのはなんともいえないお出迎えとなる。設計者はそのキャリア自体が現代建築の教科書のようになっているまさに現代の巨匠ノーマン・フォスター(Norman Foster)。

六本木の森美術館においても「フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション」と題して来年の元旦から展覧会が開催されるほど、建築家でありながらその職能の枠を超えた存在として社会に影響を与える存在となっている建築家である。1935年生まれであるから、2015年現在はすでに80歳。主な作品を見てみると

1978年(43歳) センズベリー視覚芸術センター ノリッチ イギリス
1985年 香港上海銀行・香港本店ビル 香港 中国
1989年 リバーサイド・オフィスとアパートメン ロンドン イギリス
1991年 スタンステッド空港ターミナルビル ロンドン イギリス
1991年 サックラー・ギャラリー ロンドン イギリス
1991年 センチュリータワー 東京都千代田区 日本
1992年 テレコミュニケーションタワー バルセロナ スペイン
1995年 ビルバオ地下鉄 ビルバオ スペイン
1997年 コメルツ銀行タワー フランクフルト ドイツ
1998年 九廣鐵路 (KCR)・紅磡 (ホンハム) 駅舎 香港 中国
1998年 香港国際空港ターミナルビル 香港 中国
1999年 ドイツ連邦議会新議事堂、ライヒスターク ベルリン ドイツ
1999年 カナリー・ワーフ駅 ロンドン イギリス
2000年(65歳) 大英博物館グレート・コート ロンドン イギリス
2000年 ミレニアム・ブリッジ ロンドン イギリス
2001年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス図書館 ロンドン イギリス
2002年 ロンドン市庁舎 ロンドン イギリス
2003年 トラファルガー広場 ロンドン イギリス
2004年 30セント・メリー・アクス (スイス・リ本社ビル)  ロンドン イギリス
2004年 鎌倉の住宅 神奈川県鎌倉市 日本
2005年 ベルリン自由大学・フィオロジカル図書館 ベルリン ドイツ
2006年 ハースト・タワー ニューヨーク アメリカ
2007年 ウェンブリー・スタジアムの改修 ロンドン イギリス
2007年 スミソニアン博物館コートヤード ワシントン アメリカ
2008年 北京首都国際空港ターミナル3 北京 中国
2010年 ボストン美術館 ボストン アメリカ
2011年 ザ・トロイカ クアラルンプール マレーシア
2011年 ザ・インデックス ドバイ アラブ首長国連邦
2014年 帝国戦争博物館 ロンドン イギリス
2015年 ミラノ万博 アラブ首長国連邦館  ミラノ イタリア
2015年(80歳) アップルストア ウェスト・レイク 杭州市 中国

1985年に完成した「香港上海銀行・香港本店ビル」によって当時の英国出身建築家による建築の流れを総じて呼んだ「ハイテク建築」の旗手として、その後大規模な建築を環境に配慮しながら非常に繊細なディテールを見せる建築を多く手がけることになる。

フォスター・アンド・パートナーズと呼ばれる設計事務所は個人事務所の規模を超え、世界有数の組織設計へと成長し、世界中で最先端の技術と技能を駆使し、さまざまなタイプのプロジェクトを定期的に手がけ続けており、現在ではアメリカでアップル本社ビルを建設中であり、また世界中のアップルショップの設計も手がけており、あの恐ろしく透明で薄く軽やかなショップはこのフォスターの長年の経験が後押しして実現しているものである。

そしてこの香港国際空港ターミナルビル。それに先立ってロンドンのスタンステッド空港ターミナルビルを手がけており、空港というテイポロジー、その機能的要求、そして航空交通が主流になる世界における空港という場所の意味の変換を理解して臨んだであろうこの香港の新しい顔となるターミナル。

背の高い円柱で支えられた軽やかなパネルが一定のリズムを刻みながら、上空からの暖かな太陽の日差しを室内に取り込んでおり、アーチ型立体トラスによる構造のある完成形を見せてくれる。

大量の人が出発と到着という二つの流れの方向性を持ちながら、24時間留まることなく、動き、休み、食事をしながら数時間過ごすことになるメトロポリス的な要素を持った都市としての空港を、非常にたくみにプランニングすることで、ストレスを感じることの少ない空港空間を作り出している。

そんなことを思いながら上を見上げながら、到着駅でも支払えるという非常に旅人に対して配慮の行き届いた空港に直結する高速鉄道にチケットを買うことなく乗り込み、数日間の滞在でどれだけこの街のリズムを感じ取れるか楽しみとする。

香港(Xiānggǎng,ほんこん) ★★



中国に関わっていると何かと足を運ぶ機会があるのがこの香港(Xiānggǎng,ほんこん)。1997年にイギリスから中国へと返還がなされ、その後突然今までのシステムを変更し中国制度へと統一することによっておきる様々な軋轢を避けるために、一国二制度とし50年後の2047年まではこの香港を特別行政区として位置づけ、ソフトランディングを目指すとされている。

歴史をみても、地政学的特長より非常に重要な経由地、港としての価値を持つために、欧米から貿易の為の開港を求められたり、植民地として割譲されてきた。アジアにおける貿易の拠点として多くの富を吸い上げ、西欧へと送り届ける拠点として巨大な富の集積地、中継地として成長してきたこの街は、その背景から文化的にも西洋と東洋の鬩ぎあいの最前線として機能し、稀有な街並みを作り上げることになる。

特に香港島側に作られた、世界金融の象徴ともいえる様々な銀行などの超高層タワー郡。「100万ドルの夜景」と呼ばれ「世界三大夜景」にも常にランクインするこの香港の夜景は金に群がる人々の欲望を率直に都市の形へと変貌させて極めて直裁的な都市の姿でもある。

その夜景の美しさと金融市場の中心としての華やかな一面に対し、「文化の砂漠」とも言われるように、夜景を売りに飛んでもない値段設定をするレストランやバーや、どこにいってもそのパッケージは同じショッピングモールとその中に入っているハイブランドの数々など、数日いるだけでもその揶揄の意味合いが見えてくる都市でもある。

それでも、普段仲良くしている香港人と韓国人の夫婦に勧められた小さなお店や周辺の島々巡りの魅力と夜景好きな妻がまだ一度の足を運んだことがないということも手伝って、年末年始の休みを利用して久々に訪れることにした香港。

香港と九龍を結ぶフェリーによって、あちら側とこちら側がくっきりと分かれる街で、イスタンブールのように二つの文化圏の境目を現す都市でもあるこの香港。豊かさと貧しさが共存し、アジアと西洋が交じり合う混沌とした街並み。そんな雑踏の中で、息を止めて走り抜けたようなこの2015年を少しでも落ち着いて振り返るように数日を過ごすことにする。















「ヒカルの碁」 ほったゆみ(原作) 小畑健(漫画) 1999 ★★★★

年老いた父親の現在の楽しみの一つが「碁」。昔からやっていたようであるが、定年退職後、かつての恩師のもとに同級生と通い、学生時代を思い出しながら月に数度「囲碁」を教えてもらってきている。

熱心に学ぶのはそこにとどまらず、地域の囲碁教室にも通うようになり、新しい友人も作りながら、非常に熱心に棋譜を眺める姿はなんとも微笑ましい。

「将棋も麻雀もやってきたが、やはり奥深さは囲碁が一番だ」となんとも楽しげに話す様子を見ていると、これだけ長い歴史の中で、特に高齢者が熱をあげるほど熱中できるのは、やはり何か深い理由があるのだろうと想像を膨らませる。

そして、何よりもこれほど熱中している父親に対して、いつか真剣に碁盤上で対決して、教えてもらえることが一番親孝行になるのではと思いつくが、さてどうやって学び始めようかと思い悩んでいる時に、「そういえば、囲碁を題材にした漫画がはやっていたな・・・」と思い浮かんだのがこの漫画。

早速手に入れて読んでみるが、なるほどなかなか興味深い。なにより、中国、韓国の若い棋士の台頭や、各国での棋院の普及の仕方など、これは実際北京の囲碁の大会なんかも覗きに入ってみても面白いかと思えるほど。

こうして漫画というわかりやすい形で、今まで馴染みのなかった分野に興味を持つということが起こるのは、すばらしき日本の文化の一つであろうと納得する。目標はなんとか今年のうちに、ハンデをもらいながらも勝負ができるようにとポケット版囲碁セットを購入するのを楽しみにすることにする。

「大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探している人たち」 池上正樹 2014 ★★★


現在の日本であれば、恐らくどこの地方都市にいっても当たり前の様に見られるようになった光景。家の周りを見渡しても、親と同居する中高年のひきこもりを抱える家庭があちこちに散らばり、親の仕事を手伝ったり、親の年金で生活をしたりと、なんとか生活を繋ぎとめている状態。

迫り来る親世代の死というタイムリミットを誰もが理解しながらも、外に出て社会の中で仕事を得て、糧を得るということがなかなか難しくなるのは、ひきこもりの時間が長引けば長引くほど。

誰もが分かっているけれど、誰もが解決策を見つけられず、放置することで問題を先延ばしにしつつ、更に状況を深刻化する。「家庭の恥」と隠すことによって問題は外から見えず楽なり、濃密な関係の家族間のみでも互いの軋轢はより激しくなるばかり。

そんな閉じられた関係性の中で互いを傷つけあい、時にどうしようもなく、親が子を、子が親を殺してしまう事件が起こる。そういうニュースを元に、世間に隠されていた実態が知れ渡る。

その当事者である「子」が、10代や20代でなく、40代や50代の立派な「大人」と言われる年齢であることに当初は驚きをもって受け止めていたのもすでに昔のこととなり、今では当たり前のニュースとして頻繁に繰り返される。

「家庭」というものが、社会や世間からのストレスを和らげ、個人のプライドを守り生きていく為のシェルターとして機能するのは当然であるが、同時に一人の社会人としてどうしても社会と向き合いながら様々な思いや重圧を折衷しながら関係性を構築し、自らの居場所を確保していく、そういう厳しさや辛さを人は誰でも受け入れなければ行けないのもまた事実。

家庭の形が変わり、社会との関わり方が多様化した中で、どうすればいいのかは決してひとつではなくなった時代に、家族のメンバーがそれぞれに社会との関係性を健康的に構築できる、それはとても難しくなった時代。

社会のあちこちで、ポツポツと沸点に達した水のようにチラホラと見えてきたこの問題であるが、それでも臨界点に達するのは、親世代が動けなくなったり、介護が必要になったり、亡くなっていくであろう数年から10年後。

少なくとも状況をこれ以上難しくしないためには、家族以外との縁をできるだけ切らないようにすること。地域との縁。友人との縁。社会との縁。声を上げられない家族に代わって、周りから「大丈夫か。こうしたらどうだろうか?」と声と手を差し伸べられるように、縁を切らないためにも、同窓会などが果たせる役割もきっと多いのだろうと想像する。

以下本文より。
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電車に乗ると、腹や頭などが痛くなって、家に引き返してしまう

「ひきこもり」該当者のうち、半数近くの約45%は40歳以上の中高年

こういう問題は家の恥として表にでてこない

/7割が男性、10年以上が3割
ほとんどが家族と同居 不登校 失業

/「自分の将来を見るようで怖い」
2011年2月3日 クローズアップ現代 「働くのがこわい、新たなひきこもり」
実は自分の身にも起こりうる

/他人に頼るべきではないという風潮
「ひきこもり」の人たちが社会復帰を望んでも、ひきこもっていた期間により生まれる履歴書の空白や社会経験の不足が、自立への道をそばむ
気力がなくても、実家にいれば何もしなくても生きていける

/行過ぎた成果主義が社員のつながりを寸断
東北地方の支店から本社に転勤
成果主義の流れがこれまでの個々のつながりを寸断し、同僚や部下を気遣うサポート体制も崩れてしまった
労働の流動化時代が到来

3 ひきこもる女性たち「それぞれの理由」
/出口のないトンネルを抜け出せない
どうして働いている若者のほうが、働いていない高齢者の方よりも収入が少ないのか?
どうして真面目に働いてきた自営業者のほうが、生活保護受給者の方より収入が少ないのか?

2 「迷惑をかけたくない」という美徳
/「迷惑をかけるな」という風潮
力のある人に都合がいい、弱い人には厳しい社会

3 「家の恥」という意識
/貧困・引きこもり・孤独死
ひきこもる当事者を抱える家族は「家の恥だから」と、本人の存在を長年にわたりかくして続けていることが多い

/「いちばんの家並みはお金がないこと」
Uさん一家の収入は現在、母親の年金のみで、月に8万円ほど
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■目次  
第1章 ひきこもりにまつわる誤解と偏見を解く
1 データが物語る「高齢化」
/「ひきこもり」と「ニート」は違う
/情報が無いからキッカケもないし何も変わらない
/新たなひきこもり層が明らかに
/支援するほうも「どうすればいいか、わからない」
/「40歳以上」が半数
/7割が男性、10年以上が3割
/認知されていない厚労省の支援事業
/暴力や変化を恐れる親たち

2 ひきこもりの「潜在化」
/「自分の将来を見るようで怖い」
/他人に頼るべきではないという風潮
/ずっと孤独だった
/どこに助けを求めればいいかわからない
/会社を辞めれば追跡されることもない
/行過ぎた成果主義が社員のつながりを寸断
/”追い出し部屋”がきっかけ
/こうしたひきこもりは大量生産され続ける

3 ひきこもる女性たち「それぞれの理由」
/息子の就活失敗を機に母が「買い物にも行けない」
/出口のないトンネルを抜け出せない
/長男とひきこもる元エリート母
/セクハラがエスカレートして
/「老後破産」激増の危機

第2章 ひきこもりの背景を探る
1 「立ち直り」を阻害するもの
/ハローワークの「怪しい求人」と「神様スペック」
/足元を見られる中高年応募者
/仕事を選ばなくても雇ってもらえるとは限らない
/代表戸締役社長
/300戦全敗
/資格はまるで役立たず
/玉石混交の人材紹介会社
/辞めさせないブラック企業

2 「迷惑をかけたくない」という美徳
/まさか30代の娘が同居していたとは
/「迷惑をかけるな」という風潮
/傷つけられ、封じ込められて消えてゆく
/働けず生活保護も受けられず
/侮辱的屈辱的な答えが戻ってくるだけ
/「常に世の中からはじまれてきた」という疎外感
/精神的なさせとなるものが少ない

3 「家の恥」という意識
/貧困・引きこもり・孤独氏
/都会の会社を辞めて実家に帰ったものの
/「いちばんの家並みはお金がないこと」
/家族ごと地域の中に埋没していく
/70歳の父親が息子の将来を悲観して殺害
/「消えた高齢者」とひきこもりの共通点

4 医学的見地からの原因分析
/トラウマとひきこもり
/内海の水位が上がっている次代
/生命力を取り戻すカギ
/ADHDとひきこもり
/診断基準
/強迫症状と依存症
/一緒にできることを考える
/自閉症とひきこもり
/特効薬が誕生する可能性
/薬物治療の意義
/慢性疲労症候群とひきこもり
/かかりやすいタイプ
/緘黙症とひきこもり
/「大人になれば治る」はずが
/年齢によって緘黙の質は変わる
/自分自身を変える大きなチャンス

第3章 ひきこもる人々は「外に出る理由」を探している
1 訪問治療と「藤里方式」という新たな模索
/共感を呼んだ活動
/拒絶されるのは当たり前
/一人暮らしをサポート
/18ー55歳の10人に一人がひきこもる町で
/ひきこもりの自覚が無い人もいる
/いろんな人が出入りするための工夫
/試行錯誤を行うほどに希望が湧いてくる

2 親子の相互不信を解消させたフューチャーセッション
/縦割り組織を乗り越えるための取り組み
/親には自分を信じてほしい
/自己満足な支援になっていないか?
/家族会にFSを取り入れてみると
/対決ムードが一変
/親子が一致した瞬間
/対話の大切さ

3 ひきこもり大学の開校
/化学反応が次々と
/「ひきこもり2.0」の始動
/美人すぎるひきこもりを売り出す
/ひきこもり大学解説の経緯
/「空白の履歴」が価値を生み出す
/地方でも開催
/ひきこもり当事者ならではのアイデアとニーズ
/ひきこもる人たちが駆け込める場所
/きっかけがあれば外に出ていける

4 外に出るための第一歩――経済問題
/支援制度
/面接は必須
/第二のセーフティネット
/住宅支援給付の要件
/「お知らせしていないわけではないが」
/押し付けではないメニューを
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「里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く」 藻谷浩介 2013 ★★


藻谷浩介

報道ステーションなどでもコメンテーターとして登場する著者。全国の様々な自治体を歩き回り、その目で見たこの国の現状と地方格差。そしてそこから見えてくる今後の可能性。その著者によるこの本によって「里山資本主義」という言葉がかなり浸透し、グローバルを呑み込んでいくマッチョな資本主義に対して、日本の風景を作ってきたこの国ならではの経済のあり方、資源と自然との関わり方にもう一度目をむけ、現代のグローバリゼーションを否定するのではなく、その良さを活かしながら都市への一極集中から里山に寄り添うようにして成り立つ新しい経済活動のあり方を、様々な地方での実践を紹介しながら描いていく。

都会で朝早くから満員電車に揺られ、会社についたら様々な人間関係や厳しい市場競争からのストレスを抱えながら歯を食いしばりながら働き、自分の為の自由な時間などすべて犠牲にして夜遅く帰宅するのはただただ睡眠をむさぼり、明日の朝にまた同じ一日を繰り返すための体力を回復するため。

そんな風に必死に生きているのにも関わらず、決して豊かな暮らしになっているかといったらそうではない。それに引き換え、田舎では大家族で暮らし、時間に追われることなくゆったりとした時間の中で、多くのものを共有しながら、家族で過ごす時間を持つ余裕がある。

どちらか豊かであるのだろうか?と、都会であくせく生きる人々なら一度は考えた疑問であろう。今は我慢し、キャリアアップや能力を上げて将来への投資と思えるのならまだしも、明らかに大きな経済構造の一部として取り込まれ、ただただ労働力を提供し多くのものを吸い取られてしまっているこの感じ。

そのそのどうしようもない労感に対して別の道筋を描き出そうとする意欲作であるといえる。社会の構造変化のためにさまざまな場所で見えるようになってきた歪。あるところでは「格差」として、あるところでは「限界集落」として。

そんな風に、日本が世界経済の中で今後どのようなスタンスで立ち向かっていくのか、都市と地方、そして田舎ではどのような経済構造を再構築し、どのような生活のあり方を想定して人々が毎日を暮らしていくのか。そんな国としての大きなグランドプランを変革しなければいけない必要性に迫られている現代。盲目的に世界から押し寄せる波に飲まれて、海外からの輸入した労働の在り方を踏襲し、搾取され続け、疲弊した生き方を続けるのではなく、日本だからこそ可能な、そして以前には存在していたものを新しい形に蘇らせることで豊かな生き方を目指せるのではないかと声をあげる。

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経済成長には、金太郎飴の様にどこもかしこも画一的である方が効率的だったのであり、地域ごとの個性は不要だったのである。21世紀、ある程度の経済成長を果たし、ものが溢れる豊かな時代になって、全国どこに行っても同じような表情になってしまった日本の街を見て、違和感を覚え始めたのである
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というように、地方のどこの街に行っても同じものが手に入り、同じ風景の中を走るファスト風土が蔓延するなか、「効率」一辺倒ではない、価値観もあるのではという思いがあちこちからわきあがってきている。

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マネー資本主義に染まりきってしまった人の中には、自分の存在価値は稼いだ金銭の額で決まると思い込んでいる人がいる。それどころか、他人の価値までもを、その人の稼ぎで判断し始めたりする。違う、お金は他の何かを買うための手段であって、持ち手の価値を計る物差しではない
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誰もが紹介された例のように、創造的な価値の転換をできる訳もないが、それでもどうにかして今までの社会の常識や在り方を根本的に変革し、硬直した社会の利権構造、変化を望まない一部の既得権益にとどまろうとする人々を押しのけて、未来の日本にとって、本当に相応しい社会と生活の在り方を考えていかなければいけない。その為には多くの人が一時的な痛みを伴うが、それは将来のために必要な治療であるのだと理解しなければいけない。そんな切実なメッセージが聞こえてきそうな一冊である。


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■目次  
はじめに─「里山資本主義」のススメ/3
/「経済一〇〇年の常識」を破る
/発想の原点は「マネー資本主義」
/「弱ってしまった国」がマネーの餌食になった
/「マッチョな経済」からの解放
/世の中の先端は、もはや田舎の方が走っている

第一章 世界経済の最先端、中国山地─原価ゼロ円からの経済再生、地域復活
/二一世紀の“エネルギー革命”は山里から始まる
/石油に代わる燃料がある
/エネルギーを外から買うとグローバル化の影響は免れない
/一九六〇年代まで、エネルギーはみんな山から来ていた
/山を中心に再びお金が回り、雇用と所得が生まれた
/二一世紀の新経済アイテム「エコストーブ」
/「里山を食い物にする」
/何もないとは、何でもやれる可能性があるということ
/過疎を逆手にとる
/「豊かな暮らし」をみせびらかす道具を手に入れた

第二章 二一世紀先進国はオーストリア─ユーロ危機と無縁だった国の秘密
/知られざる超優良国家
/林業が最先端の産業に生まれ変わっている
/里山資本主義を最新技術が支える
/合い言葉は「打倒! 化石燃料」
/独自技術は多くの雇用も生む
/林業は「持続可能な豊かさ」を守る術
/山に若者が殺到した
/林業の哲学は「利子で生活する」ということ
/里山資本主義は安全保障と地域経済の自立をもたらす
/極貧から奇跡の復活を果たした町
/エネルギー買い取り地域から自給地域へ転換する
/雇用と税収を増加させ、経済を住民の手に取り戻す
/ギュッシングモデルでつかむ「経済的安定」
/「開かれた地域主義」こそ里山資本主義だ
/鉄筋コンクリートから木造高層建築への移行が起きている
/ロンドン、イタリアでも進む、木造高層建築
/産業革命以来の革命が起きている
/日本でもCLT産業が国を動かし始めた

中間総括 「里山資本主義」の極意─マネーに依存しないサブシステム
/加工貿易立国モデルが、資源高によって逆ザヤ基調になってきている
/マネーに依存しないサブシステムを再構築しよう
/逆風が強かった中国山地
/地域振興三種の神器でも経済はまったく発展しなかった
/全国どこでも真似できる庄原モデル
/日本でも進む木材利用の技術革新
/オーストリアはエネルギーの地下資源から地上資源へのシフトを起こした
/二刀流を認めない極論の誤り
/「貨幣換算できない物々交換」の復権─マネー資本主義へのアンチテーゼ①
/規模の利益への抵抗─マネー資本主義へのアンチテーゼ②
/分業の原理への異議申し立て─マネー資本主義へのアンチテーゼ③
/里山資本主義は気楽に都会でできる
/あなたはお金では買えない

第三章 グローバル経済からの奴隷解放─費用と人手をかけた田舎の商売の成功
/過疎の島こそ二一世紀のフロンティアになっている
/大手電力会社から「島のジャム屋」さんへ
/自分も地域も利益をあげるジャム作り
/売れる秘密は「原料を高く買う」「人手をかける」
/島を目指す若者が増えている
/「ニューノーマル」が時代を変える
/五二%、一・五年、三九%の数字が語る事実
/田舎には田舎の発展の仕方がある!
/地域の赤字は「エネルギー」と「モノ」の購入代金
/真庭モデルが高知で始まる
/日本は「懐かしい未来」へ向かっている
/「シェア」の意味が無意識に変化した社会に気づけ
/「食料自給率三九%」の国に広がる「耕作放棄地」
/「毎日、牛乳の味が変わること」がブランドになっている
/「耕作放棄地」は希望の条件がすべて揃った理想的な環境
/耕作放棄地活用の肝は、楽しむことだ
/「市場で売らなければいけない」という幻想
/次々と収穫される市場“外”の「副産物」

第四章 “無縁社会”の克服─福祉先進国も学ぶ“過疎の町”の知恵
/「税と社会保障の一体改革頼み」への反旗
/「ハンデ」はマイナスではなく宝箱である
/「腐らせている野菜」こそ宝物だった
/「役立つ」「張り合い」が生き甲斐になる
/地域で豊かさを回す仕組み、地域通貨を作る
/地方でこそ作れる母子が暮らせる環境
/お年寄りもお母さんも子どもも輝く装置
/無縁社会の解決策、「お役立ち」のクロス
/里山暮らしの達人
/「手間返し」こそ里山の極意
/二一世紀の里山の知恵を福祉先進国が学んでいる

第五章 「マッチョな二〇世紀」から「しなやかな二一世紀」へ─課題先進国を救う里山モデル
/報道ディレクターとして見た日本の二〇年
/「都会の団地」と「里山」は相似形をしている
/「里山資本主義への違和感」こそ「つくられれた世論」
/次世代産業の最先端と里山資本主義の志向は「驚くほど一致」している
/里山資本主義が競争力をより強化する
/日本企業の強みはもともと「しなやかさ」と「きめ細かさ」
/スマートシティが目指す「コミュニティー復活」
/「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」が「車の両輪」になる

最終総括 「里山資本主義」で不安・不満・不信に決別を─日本の本当の危機・少子化への解決策
/繁栄するほど「日本経済衰退」への不安が心の奥底に溜まる
/マッチョな解決に走れば副作用が出る
/「日本経済衰退説」への冷静な疑念
/そう簡単には日本の経済的繁栄は終わらない
/ゼロ成長と衰退との混同─「日本経済ダメダメ論」の誤り①
/絶対数を見ていない「国際競争力低下」論者─「日本経済ダメダメ論」の誤り②
/「近経のマル経化」を象徴する「デフレ脱却」論─「日本経済ダメダメ論」の誤り③
/真の構造改革は「賃上げできるビジネスモデルを確立する」こと
/不安・不満・不信を乗り換え未来を生む「里山資本主義」
/天災は「マネー資本主義」を機能停止させる
/インフレになれば政府はさらなる借金の雪だるま状態となる
/「マネー資本主義」が生んだ「刹那的行動」蔓延の病理
/里山資本主義は保険。安心を買う別原理である
/刹那的な繁栄の希求と心の奥底の不安が生んだ著しい少子化
/里山資本主義こそ、少子化を食い止める解決策
/「社会が高齢化するから日本は衰える」は誤っている
/里山資本主義は「健康寿命」を延ばし、明るい高齢化社会を生み出す
/里山資本主義は「金銭換算できない価値」を生み、明るい高齢化社会を生み出す

おわりに─里山資本主義の爽やかな風が吹き抜ける、二〇六〇年の日本
/二〇六〇年の明るい未来
/国債残高も目に見えて減らしていくことが可能になる
/未来は、もう、里山の麓から始まっている

あとがき
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2015年12月23日水曜日

ニュースのその後

年の瀬になると、いやがおうにもにも「今年」を振り返ることになる。特に、今年起こった様々な事件を、「何があったかなぁ」と考えて、ニュースをまとめたサイトを見てみると、当時は毎日目にしていたのに、あっという間に報道されなくなり、そして記憶のかなたに葬り去られている多くの事件やニュースがあるのに驚くことになる。

2015年上半期 重大ニュース まとめのまとめ - 重大ニュースまとめ 2015 - 2016

2015年下半期 重大ニュース まとめのまとめ - 重大ニュースまとめ 2015 - 2016

イスラム国によるフランスでの出版社襲撃のテロに始まり、後藤健二さんなどの人質殺害。お菓子につまようじを混入させた子供や、ウクライナとロシアの衝突。川崎市での中学一年生殺害事件に北陸新幹線開通。ジャーマンウイングスが操縦士の意図によってフランスで墜落。渋谷区による同性カップルを認める条例開始。老人ホームでの虐待暴行。寺社仏閣で油が撒かれ、群馬県高崎で硫酸がかけられ、上空ではドローン問題。船橋で少女の生き埋め殺人、校長のフィリピンでの買春問題。箱根山の火山活動、大阪都構想に関する住民投票。鹿児島口永良部島噴火。年金機構の情報流出とその詐欺事件。韓国でのMERS流行。18歳への選挙権。ギリシャ問題。東海道新幹線での焼身自殺。

明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録。新国立競技場のザハ案の白紙撤回。東芝不正会計問題。直木賞で「火花」受賞。天津市での爆発。バンコクでのテロ事件。高槻市で中学1年の女子生徒の遺体発見と、中学1年の男子生徒の遺体を発見。山口組分裂騒動。東京での劇団員殺人事件。弁護士事務所での局部切断。池袋での危険ドラッグの暴走車。東京オリンピックのエンブレム盗作疑惑。シリアからの欧州への難民。大雨にて常総市の鬼怒川決壊。改正労働者派遣法成立。JR沿線でケーブル火災。熊谷市でのペルー人による連続殺人。安全保障関連法成立とSEALsらによるデモ運動。フォルクスワーゲン(VW)不正問題。ラグビーワールドカップで五郎丸のルーティーン。伊勢市虎尾山にて頼まれたとして同級生が殺人。マイナンバー。TPP合意。旭化成建材のマンション杭データ偽装。パリ中心部の劇場などでテロ。トルコ軍によるロシア機迎撃。いじめによる名古屋市の中学生の電車への飛び込み自殺。靖国神社爆弾テロ。「爆買い」と「トリプルスリー」の流行語大賞。STAR WARS7公開。名古屋の路上で外国人男性が集団リンチで死亡。加古川市での女性遺体遺棄事件。

こうして見ていくと、その時は重大なニュースだ、話題のニュースだと毎日気を配っているが、時間の経過とともに、徐々に報道されることもなく、事件の経過がどうなったかが気になるがそれを知る手立てもなく、そのうちに次から次へと新しい事件やニュースが起こってしまい、あのニュースはすっかり忘れ去られてしまっている。

本当はそれらのニュースがなぜ起きて、どうして防げなかったのか、未来のためにそれから何を考えなければいけないのかなと、メディアが時間をかけて事件の背景を洗い出し、そして報道していく。それが望ましいのだろうと思う。できることなら、ニュースが流れた最初に、気になるものはどうにか自分でブックマークをしておけば、その後そのニュースに関する進展をいろいろな媒介から引っ張り出して、アップデートしてくれる。そんなサービスがあっても良いと思うくらいである。

しかし、新聞社や報道の現場では、「もっとこのニュースを追いかけたいんです」という記者に対して、「そんな鮮度の落ちたニュースに時間をかけている時間も経費も無いんだよ。もっと新しい刺激のあるニュースをおっかけろ!」という視聴率重視の体制が透けてみてくる様でもあり、そうなると受動的に受けるニュースでは現状を変えることは望みようも無く、そうなると上記したように気になるニュースはその都度自分でメモしておき、時々にネットで検索して自ら「ニュースのその後」を追っかけていく。その中で、断片的な情報でも、事件の概要を自分なりに理解し、垂れ流しではなく何かしらの納得をして生きていく、そんなことが必要になるのだろうと年の瀬に思うことになる。

2015年12月20日日曜日

自由と選択

40歳を目の前にして思う。孔子の曰う様に「四十にして惑わず」などということはやはり難しいものであると。

人にはやはり物事の向き不向きというものがあり、ある性格の人にはある一定の仕事や業種が非常に向いているということもあるだろう。また同時に、自分では気がついていなくても、周囲から見ればその人にぴったりの仕事内容ということもあるであろう。

逆もしかりで、その人がどんなに努力しても、その人の生まれ持った、また育ってくる中で育まれた性格がどうしても行っている仕事や業種に合わない、ということもあったりする筈である。

その為に人は人生で迷い苦しむのであり、いっその事自分の生活をよく理解し、自分の願う方向性をよく理解し、そしてかつ世の中の仕組みを把握したとてもできた大人が、自分の人生の時々に、方向性を整理し、仕分けをし、進むべき方向を示唆してくれる、そんなことがあったらどれだけ良いかと思うこともある。

かつての様に、社会がある種の閉鎖性を持ち、人生の枝分かれが限られていた時ならば、それほど迷うこともなく、疑問を持つこともなく、少々の不満は抱えながらも、誰もが置かれた場所で咲こうと与えられたことに全うできたであろうが、現在のどこまでもフラット化し、何でも選択可能。その代わり、どう選ぶかとそのリスクについては誰も教えてくれない。そんな世の中の自由の側面ばかりが取り上げられ、ポイッと社会の渦の中に放り込まれ漂う若者たち。

恐らく日本だけでなく、全世界が同じような思いを持った人々が現れだしているのを象徴するかのように、逆に信頼がおけるコミュニティが自らの未来を決定してくれるという未来像を描き出したのが昨年公開の「ダイバージェント」

誰もが不安で、どこにも答えがない時代。だからこそ、ドキュメント72時間「占いの館 運命の交差点」が描くように、多くの人々が未来を示してくれる占いに吸い寄せられるのであろう。

家族に仕事を辞めたことを伝えられず、毎朝会社に行く振りをして外にでても会社に行かず、近くの公園で時間を潰す人も少なく無い現代。家族や社会のために、責任ある役割を受け入れなければいけないが、それができることなら自分の性格にマッチしたものであってほしいとは、誰もが願うことである。

努力することでその差異を最小化することはできるかも知れないが、根本的に間違った場所に、間違った人が着いてしまうことの悲劇は社会で生きる人は誰でも目撃していることであろう。

「自由と選択」の次にくるのが「リスク」であることを十分に理解した現代社会。どこから良識のあるメンターが社会の中で必要とされ、存在できるだけの場所と報酬が支払われる。そのことで人々がより生きやすく生活できる社会になる。個人が守ってくれる中間領域なしに社会に晒される現代だからこそ、そんなことを願わずにいられない。