2014年6月4日水曜日

女性抵抗運動の像を守る石柱郡(Monument to the Female Resistance Fighter) カルロ・スカルパ 1970 ★★★

--------------------------------------------------------
所在地  ヴェネツィア(Venezia)
設計   カルロ・スカルパ
竣工   1968-70
機能   彫刻
--------------------------------------------------------
昼前にアーセナーレの正門で集合し、昨日よりも展示の進んだメイン会場を通り抜け、まだ臨時で走っている船によって向こう岸の展示会場へと渡り、展示作品の模型を最終チェックし、プレス用の写真を撮影する。

その後アーセナーレともう一つのメイン会場であり、各国家のパヴィリオンが立ち並ぶジャルディーニ会場へ船で向かう。到着するのは通常の水上タクシーのジャルディーニの駅。そのすぐ左手に海の中からいくつもの石のボックスが立ち上がっているのが見えてくる。明らかなデザイン性からこれもまたスカルパの作品だと見て取れる。

近くまで行って写真におさめるが、アウグスト・ムレール(Augusto Murer)というイタリアの彫刻家の作品であるレジスタンスの女性像を囲うようにして、スカルパの設計したブロック状に高さを変えて水面と呼応する広場のような空間が広がっている。

この彫像をどのように設置するかの依頼に対し、スカルパの取ったアプローチは水面に浮いたデックを作り出し、そのデックを小さなボックスに分解し水面を拡張するかのように高さを変えることによって、彫像に向かう多様な視点を作り出すとともに、彫像を海の波から守る役割も与えるというものらしい。

ジャン・ティンゲリーの動く彫刻が街の至る所で時間と空間を刻んでいるスイスのバーゼルの様に、こうしてこのベニスも都市の至る所にこの様に風景の一部として溶け込みながら良質の時間を刻む建築家の作品があることが、どれだけ豊かさことかを教えてくれているようである。







聖ジョルジオ・デイ・グレーチ大聖堂(Chiesa San Giorgio dei Greci) 1573 ★★


--------------------------------------------------------
所在地  ヴェネツィア(Venezia)
竣工   1573
機能   教会
--------------------------------------------------------
2時間に及ぶ早朝のランニング。ホテルでの朝ごはんを逃さないためにと帰り道での最後の見物となるのがこの聖ジョルジオ・デイ・グレーチ大聖堂(Chiesa San Giorgio dei Greci)。

大聖堂である。では、どこの宗派のかと言えば、正教会の大聖堂だという。カトリックの正教会の大聖堂という訳である。

1539年からおよそ35年の歳月を費やし1573年に完成したこの教会。正面ファサードを運河に向けてその横に立つ鐘楼と、ファサード中心に設けられた丸窓の表情が特徴的な風景を作り出す。

大聖堂ということで、府主教座聖堂として取り扱われるこの教会は、イタリア全土の正教会にとっても重要な位置を占める教会となっているという。運河に正面を向けるその構成から、この街の主要な交通が永きに渡り水に支配されていたことを物語っているのを感じながら、長い朝のランニングから空腹を感じてホテルへと戻ることにする。





サン・ザッカリーア教会(Chiesa di San Zaccaria Venezia) マウロ・コドゥッシ 1515 ★★


--------------------------------------------------------
所在地  ヴェネツィア(Venezia)
設計   アントニオ・ガンベッロ(Antonio Gambello)、マウロ・コドゥッシ(Mauro Codussi)
竣工   1515
機能   教会
--------------------------------------------------------
ランニングがてらに始めたベニス建築巡りだが、あるところまで来るとすぐ近くにまた他の建物が現れるので、なかなか引き返すタイミングが難しい。そんなこんなで既に2時間近く街を徘徊していることになり、ついにここが引き返し地点と決定する。

サン・マルコ広場よりやや奥まったところに位置するこのサン・ザッカリーア教会(Chiesa di San Zaccaria Venezia)。サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂と同様に、カトリック教会のベネディクト会の教会だという。ザッカリーアというにはヨハネの父ということらしい。

広場に面しているのだが、奥行きが無いためなかなか全景をカメラにおさめるポジションを探すのに苦労する。何とか正面から全体を撮れる場所を探し出すが、どうも立面のプロポーションが良くないように思われる。立面図で見るとそうでもないが、どうも実際に見ると横に膨らんだ形に見えてしまう。

その建設は元々アントニオ・ガンベッロ(Antonio Gambello)が設計を開始し、当時流行のゴシック様式を元に進めたが、時代が進みマウロ・コドゥッシ(Mauro Codussi)により正面のファサードなどがルネサンス様式によって完成されたため、ゴシックとルネサンスのキメラの様な表情になっているという。

東から差し込む朝日に照らされ反射し白く見える石畳の道の上を、そろそろ出勤の為にしゃれた姿で足を進めるベニスっ子の間を抜けながら、ホテルに向けてランニングを進めることにする。








サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂(Basilica di San Giorgio Maggiore) アンドレア・パラーディオ 1610 ★★★


--------------------------------------------------------
所在地  ヴェネツィア(Venezia)
設計   アンドレア・パラーディオ
竣工   1610
機能   教会
--------------------------------------------------------
ベニスの建築家として幾つかその作品を見てきた現代建築の巨匠・カルロ・スカルパ。そしてもう一人は中世のこの都市で活躍し、その後スカルパよりもはるかに大きな影響を世界中の建築に与えた建築家:アンドレア・パラーディオ(Andrea Palladio)。

パラーディオといえば、ベネチア北西部の小さな街ヴィチェンツァに多くの作品を残し、ヴィチェンツァ自体がパラーディオ博物館といえるように、多くの建築が残されている。

イニゴ・ジョーンズに代表される18世紀のイギリスの貴族達が、修学の最終行程としてのグランド・ツアーで向かったのが歴史上の建築を実物として見せてくれる生きた教科書としてのイタリア。そこで出会った数世紀前の建築家・パラーディオ。彼らによってパラーディの建築と著作が再発見され、パッラーディオ主義とよばれる建築運動をヨーロッパ中に巻き起こすことになる。

そのパラーディオがこのベニスに残したのは街の重要な景観を作り出す二つの教会。カナル・グランデからラグーンに出る前に右手に見えてくる島。その島に建つ高い鐘楼を備えた印象的な教会。それが1610年に完成したサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂(Basilica di San Giorgio Maggiore)。

ベニスという都市の構成を考えても、この教会の建つ島は明らかに都市計画としても、そして風景としても重要な意味を持つ場所であったはずである。その為に、790年頃には既に最初の教会建設が始められ、982年に正式に島全体がカトリック教会のベネディクト会に譲渡されたという。

これも我々日本人にはなかなか馴染みが無いが、ベネディクト会というのは、カトリックの中の一つの修道会の名称であり、他の修道会には、イエズス会、フランシスコ会、パウロ会などがあるという。またカトリックというのはキリスト教の中に一つの宗派であり、他に正教会(ギリシャ正教、ロシア正教など)、聖公会(英国国教会)、プロテスタントなどがある。

なのでキリスト教という宗教のカトリックという宗派のベネディクト会という修道会の教会ということになる。

長い歴史を持つ教会も1565年にパラーディオによる改修が始められることになる。1580年にこの世を去ったパラーディオはその完成を見ることなく、彼の死後の1610年にやく50年の歳月を費やして改修工事が完成し現在の姿となった訳である。









ため息の橋(Bridge of Sighs) 1614 ★★



--------------------------------------------------------
所在地  ヴェネツィア(Venezia)
竣工   1614
機能   橋
--------------------------------------------------------
ドゥカーレ宮殿を海沿いに東に進むと大きな太鼓橋を渡ることになる。その橋の上で左、つまり陸側を眺めると、この入り組んだ迷路の様なベニスにしては珍しく、長く視界の通った運河が延びている。

その視線を受けるが、白い大理石でできた橋。橋といってもその上に人が見えるのではなく、橋自体が内部空間をもった通路の様になっている。これがベニスの観光地としても有名な「ため息の橋(Bridge of Sighs)」で、ドゥカーレ宮殿とその後ろの控える牢獄を結んでいる橋である。

牢に投獄される囚人がこの橋を通る時に、外を眺めるのが最後に見るベニスの景色であり、その時に囚人がつくため息からこの橋の名前が付いたとされているが、これが日本のどこかの都市なら、「ホントかね」となりそうだが、ベニスなら信じてしまいそうになるのがまた不思議である。





ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale) 814 ★★★★★


--------------------------------------------------------
所在地  ヴェネツィア(Venezia)
竣工   814
機能   宮殿
--------------------------------------------------------
ベニスで一番美しい建物といえばまず第一に挙げたくなるのがこのドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)。カナル・グランデからラグーンにでて左手に見えてくるのがこの都市の顔であるサン・マルコ広場。

この都市の海の玄関口を示す二本の柱。その右手に横長に延びる3層構成の美しい建物。上部の壁面が中間部の細い柱に重力を伝え、そして下層部のどっしりした太い柱へと力が流れていくこの世を支配する物理の法則を視覚化したかのような見事なヴェネツィアン・ゴシック。

サン・マルコ寺院にへばり付くかのように配置され、かたや海の玄関の見張り役のような位置を持つこの建物は、別名「The Doges' Palace」とも呼ばれ、「Doge」は「ドージェ」と発音され、ヴェネツィア共和国の総督という意味であり、共和国の一番の権力者の館として利用されて来たという。

元々の建物は8世紀に建てられたが、大規模な改修が施されたのが14世紀-16世紀の間で、様々な建築家の手によって設計が重ねられてきたが、尖頭アーチを連ねたアーケードが上部のロッジアを支え、下層部空間を都市に開放し、市民が日陰で憩える回廊空間を提供する、見事なゴシック様式の建物としてこの街の顔の役割を果たしている。

カ・ドーロ(Ca' d'Oro)の設計で知られる、ジョヴァンニ・ボンと彼の子バルトロメオ・ボンもまたこのドゥカーレ宮殿の改修に関わり、ゴシック建築の傑作を作り出すのに寄与したと言われる。

なんといっても素晴らしいのは、サン・マルコ広場からやってきて建物の角に差し掛かると、下部において視界が抜けて先の海が見えてくる扱い。二階部分は抜けは少ないもののやはり向こうが感じ取れ、上部になると壁面として完全に風景が遮断される。

イタロ・カルヴィーノが新たな千年紀の為に残そうとした価値の一つ「軽さ  Lightness」。このドゥカーレ宮殿の足元から見えるラグーンの風景を見ていると、重力に支配される人類にとってやはり「軽さ」がどれだけの価値を持ちえるのかを教えてくれる建物である。












サン・マルコ寺院 (Basilica di San Marco) 1090 ★★★★


--------------------------------------------------------
所在地  ヴェネツィア(Venezia)
竣工   1090
機能   教会
--------------------------------------------------------
ベニスの中心のサン・マルコ広場。その正面に鎮座するのはその名前の由来となるサン・マルコ寺院 (Basilica di San Marco) 。もちろんその寺院はこの街の守護神でもある福音記者マルコに捧げられるべくして設計された。このベニスで最も有名で最も重要な教会である。

現在は改修中のこの建物。最初のベニス訪問時に内部を見学したが、内部の床がフラットでないことに、コルビュジェのロンシャンの礼拝堂の床の体験を重ね合わせ、移動するたびに反響する自らの足音に、音の空間に感銘を受けたことを強く思い出す。

そんなサン・マルコ寺院であるが、なぜ他の教会と違い「寺院」と呼ばれているのか、改めて考えると分からない。そこで調べてみると、下記の様になっているようである。

教会:キリスト教徒が集まりミサをする場所を呼び、小さなところから大聖堂まで様々である。

聖堂:上記の教会の中で、ミサを行う部分のことを呼ぶ。というのも、教会には聖堂部分以外に、神父の居住空間や信徒の活動に供される空間があるため。

大聖堂:英語で言うと「カテドラル(Cathedral)」と呼ばれるものであり、上記の聖堂の中でも、内陣中央に司教座(司教の座る席)を持つ聖堂のことをいう。つまりは司教が神父を務める教会のことを指すという。

では「司教」とは何かとなると、カトリック教会の位の一つで、ある司教区(教区)を監督する聖務職のことというから、必然的にその司教がいる大聖堂というのは、地域でもかなり位の高い、威厳のある教会ということにある。

寺院: これは仏教同様に、宗教施設の総称に使われるので、上記のどれでも寺院となるようである。

では、なぜこの教会が他と違って寺院と呼ばれるのか?

元々の建設は1084年から1117年にかけておこわなれ、ビザンティン建築を代表する建物であったという。長い年月の後の1807年からはヴェネツィア大司教座が置かれることになり、正式には「サン・マルコ大聖堂(Basilica Cattedrale Patriarcale di San Marc)」と呼ばれているというが、800年近い年月に渡り司教座聖堂(大聖堂)ではなかったために、歴史上の呼称に合わせ、「寺院」と呼ばれているという。恐らく日本語に訳する時に寺院というのが定着したが、上記の流れていけば、「サン・マルコ教会」と呼ばれていてもおかしくはなかったのかと思われる。

さらっと流してみたが、ビザンティン様式として、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のトルコの都市イスタンブール)にあった聖使徒大聖堂を模して、建てられたといわれている。

1090年代に建設された聖堂は十字形平面であり、平面を見ても分かるように、十字の各腕の長さが等しい形をしている。このタイプの十字形はギリシャ十字と呼ばれ、真ん中に重心を持つ安定した形状として主に、正教会やビザンティン建築の聖堂で多く見られる形状である。

その中心部には円蓋と呼ばれるドームを持つクロス・ドーム形式と呼ばれる建築構成であり、この形式は由緒正しいビザンティン建築と呼ばれているという。同じタイプの建築としては先日訪れたロシアのモスクワにある、救世主ハリストス大聖堂(Cathedral of Christ the Saviour) がこのギリシャ十字の聖堂となっている。

ギリシャ十字が安定した対称形に対して、下部が長く延びているのがラテン十字であり、アプローチから長い身廊を通って辿りつく先に十字の交差部が置かれているという、奥行きのある構成であり、主に西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント)で多く見られる形式である。
 
サン・マルコ広場に面した5つのアーチ。近づくとさらにスケールを変えて見えてくる様々な装飾。1000年以上もの歴史を経ても、多くの教徒がこの場所に足を運び神の存在を感じるというのが分かるような力を持った建築である。