2012年8月24日金曜日

NAMOCの行方

今、その行方に世界が最も視線を送る建築コンペの一つでもあNAMOC(National Art Museum of China)コンペ。

そこかしこで、ヌーヴェルが勝ったんだという噂が飛び交っているが、彼と一緒に最終の3組に残ったザハとゲーリーのイメージは見かけることができるが、どう検索してもそのヌーヴェルの作品のイメージが出てこない。非常に厳しい機密保持のベールの中、ヌーヴェル勝利の噂は現実味を増すばかり。

Jean Nouvel Said To Edge Gehry, Hadid For Beijing Museum Job

我々も応募していただけに、鳥の巣の横にどのような新しい建築の殿堂ができるのか、楽しみに10月の人民代表大会を待つ今年にする。

2012年8月23日木曜日

インターン文化

インターンシップで我々の事務所に来ている学生が常に10人以上いる。

その国籍はと言うと、今在籍中のインターンだけでも、中国はもちろんのこと、タイ、スペイン、イタリア、レバノン、スウェーデン、香港、アイルランドと多国籍に渡る。

夏休みの期間だけに、毎週の様に新しいインターンとして誰かが入ってきては、3.4ヶ月ほど、事務所で建築設計事務所の生活とはどのようなものか、MADではどのように設計を進めていくのか、を実際に仕事を通して学んでそれぞれの国に帰っていく。

そんな訳で、毎月一度は金曜の夕方からハッピー・アワーと銘打ってオフィス内でビールを飲みながらカジュアルな会を催して、その中で新しく来た所員やインターンが挨拶をし、また去っていく人も同じように挨拶をする。

まだ二十歳そこそこの若さだと思うが、皆恥ずかしがったりしながらも、ちゃんと30人からの人の前でしっかりと英語で挨拶をしていくのを見ると、自分がその年頃にできていたかな?と思わずにいられない。

そんなインターン達を見ていると、来たばかりのときは英語もたどたどしかった子でも、インターンが終わる頃になるとかなり会話も上達してるし、CADや3Dも使えるようになっていく姿を見ると、こういう経験は学校ではなかなかできないだろうと感じ、なによりも、これだけ多国籍の同世代で同じく建築を目指す友人を作って、その後の勉強を続けると言うのは、何にも変えられない経験だろうと思う。

それぞれのプロジェクトに配置されるインターンなので、会話を交わす機会は人によってバラバラになってしまうが、できるだけ様々なステージのプロジェクトを体験できる様に考慮してあげて、何か一つでもいいので、より建築を好きになれるものをここから持ち帰って欲しいと伝える。

インターンにはインターンのコミュニティがあるようで、昼時はインターン同士でテーブルを囲み、その後はインターン同士で散歩に出て行く。そんな姿を目にすると、自分もそんなインターンを経験していたら、また違う道を歩んでいたのかと想像する。

そんなインターン達を見ていても、その中に日本からのインターンの姿が一人もいないことに少しの悲しみを覚える。

大学生時代に、長い人では半年間、違う国に行き建築の実務を学ぶ。

恐らく日本の大学のカリキュラムではそれだけの長い時間を研究室や大学から離れることは、日本の建築村の中での大学という更に小さな村の中ではマイナスの要素でしかないのだろうか。担当教授の覚えよろしくして、常に彼の視界の中に姿を置いておけば、安定した就職先への推薦ももらえやすいだろう。

この不況下で不安定極まりないアトリエ系設計事務所に就職を望む生徒も数少ない中、皆が競って目指す先は安定した大手設計組織。日本の優良企業として一般的な採用活動をするそれらの企業を目指す学生は、必然的な長期に渡る無用ともいえる就職活動を強いられる。その就職戦線から半年近く脱落するのはある意味彼らにとってはドロップアウトを意味するのだろうか。

そしてもう一つの大きな理由は英語という言語の壁。しかし公平にこれからの建築の流れを見ていくと、学生のときにその壁を取っ払ってしまうほうが、よっぽどその後の人生における「就職活動」になるのだと思わずにいられない。

とにもかくにも、なんだか楽しそうなインターン達の中に、当たり前のように日本からの学生がいて、当たり前の様にその学生とも英語か中国語かで会話をしているようになる日が来れば、日本も真の意味での国際化に近づけたということか。

2012年8月22日水曜日

コンサル地獄

「絵に描いた餅」

では無いが、建築業界もプロジェクトの規模の巨大化、設計業務の複雑化に伴い、その業務の細分化およびプロフェッショナル化の動きが激しい。

住宅規模ならば、一級建築士として登録し、一級建築士事務所として登録してあるならば、言ってしまえば一人で設計を進め、規模によっては構造家に構造計算をお願いし、施工会社が決まった段階で、担当者と設計内容について刷り合わせるという形で、非常にシンプルに物事が進む。

と言っても、施主の要望を建築という形を持つ空間に変換し、それを物理的に成り立たせる為に、構造家と設計の意図を壊さないようにすり合わせ、さらに施工会社と予算および施工方法の観点から、より良い修正方法などが無いかと一緒に悩み、施主の求める予算と工期の中で物事を決めて前に進めていく。その調整作業はかなり複雑で、如何に起こりうる問題を想定しながら今の設計を進めるかが建築家に求められることとなる。

それがプロジェクトの規模の増大に伴って、ある一点より大きくなるとそれはもう一人の建築家でカバーできる範囲を超えて、設計に対する「間合い」も変えていかないと対処できなくなってくる。

そこに搭乗するのが、竹の子のように現れるコンサルタントとよばれるプロフェッショナル集団。

例えば、今進めているあるアパレル会社の新社屋ビルのプロジェクト。

クライアント自体はアパレル会社なので、実際に建物を建てることとそれを資産として管理することを目的として、プロジェクトの実質的なクライアントの位置づけを担うディベロッパー。

ディベロッパーの要望を元に、設計事務所と様々なコンサルをスケジュールに沿ってプロジェクトを進めていくプロジェクト・マネージメント会社。

建物を地盤や地域の風加重、また建築の外形によって変わる構造的特性を解きながら、複雑な挙動を起こす部分をしっかりと安全を担保しながら成り立たせるように構造設計を進めてくれる構造チーム。

オフィスもあれば、レストランもあり、会議室もあれば、多機能ホールもあったりと、一つの建物に使用人数も形式も異なる空間が多数混在するときに、その空調や水などの問題を解決するのが建築設備の領域。英語で言うとMEP(Mechanical Electrical Plumbing)という。それを主に担当するのがMEP・コンサルタント。

昨今のエネルギー問題に比例するように建築の中で重要な位置を占めるようになってきたのが環境設計。建築内部の熱環境をどう処理するかを主に担当する。コンピューターの処理速度の向上に伴って、さまざまなシュミレーションソフトが開発されて、地域の季節後との風の流れからどのような風加重が建築に与えられ、どのような開口部だとどのような影響を与えるか。また気温や湿度とともに、風速のパラメーターを使用して、内部にどのような熱環境を作り出したりするか?ということを主に担当するのが、環境設計コンサルタント。

そしてLEED(Leadership in Energy & Environmental Design)。上記の環境にも関わってくるが、地球環境に与える影響の大きな建築業界だけに、できるだけ環境に配慮した設計や工法を採用し、それを評価していきましょうという流れの中生まれたあまたの評価基準の中で、この10年ほどかけて、やっと集約され世界的基準として認識されてきたのがこれ。建物のいろいろな分野にポイントが振り分けられており、それぞれの項目をクリアするとポイントが加算されると言う、ゲーミフィケーションの典型のようだが、Totalで110あるなか、80以上でPlatinum、60以上でGold、50以上でSilver、そして40以上でCertifiedとなる。今回はGoldを目指すと言うことで、LEED担当のコンサルとここをこうやって変更すると何点稼げるからどうします?みたいなことを繰り返す。

What LEED Is

次がファサード。建築の中で一番外部に接しているのが建築を覆う外装材で、その表面をカーテン・ウォールとかスキンとかファサードだとか呼ぶが、複雑かつソフィスティケートされていくその外装をどう作り、どう建築家の求めるイメージに近づく解決法を見つけていくかを専門にするのがこのファサード・コンサルタント。

そして、ランドスケープ。20世紀的なアメリカのランドスケープ・デザインの考え方を学んだ世界中のランドスケープ・デザイナーが、各国に戻ってそれぞれの国も気候などにあわせながら、建築と大地を繋ぐ敷地にどのような快適なグリーン空間をつくりだすか。また建築内部に配された庭園空間にどのような空間をつくりだすか。それを主に担当するランドスケープ・デザイナー。

これだけ大規模の建物になってくると、通常建築事務所とは別に、内装を特化して設計するインテリア・デザイナーが入り込む。今回の場合では公共空間に関しては建築を担当する我々がインテリア・デザインを担当し、その他のオフィス内部の空間などは別のインテリア・デザイナーが担当する。

1800人もの従業員が働くオフィスなので、お昼時には社員食堂は大変な混雑となる。地下に設けられるその食堂空間および、厨房内部の設計を行うのがキッチン・コンサルタントで、どのような動線にすれば、一番効率的に人をさばけて、どのような厨房の配置にすれば、外部からの搬入や食堂への搬出がスムースにいくか?などを検討する。

人が使う空間であることと、新社屋として会社のイメージを担うことを踏まえて、通常の機能的な照明に加えて、外観を魅力的にその建築概念を伝えるための別次元の照明計画が必要となってくる。その照明効果および照明の設計を行うのがライティング・コンサルタント。

オフィスであることと、新社屋であることはある種の音響環境を要求する。もちろん、ショッピング・モールの様な反響する堅い空間は望まれず、できるだけ落ち着いて仕事に集中でき、商談がスムースに進むような空間が必要とされ、その為に各空間の音響設計を行うのがアコースティック・コンサルタント。

これだけ複雑な形状をした建築になると、一つの変更が多くの付随する変更を引き起こし、それは果てしない時間のロスを生み出す。それを解決すべく設計から施工図製作および、施工段階まで。また各コンサルタントの共通プラットフォームとして建築の設計の現場に導入が始まっているBIM System。その統括をするのがBIMコンサルタント。

そして、設計事務所の意図を汲み取り、それを施工するために必要な様々な施工図を作成する役割を担うのが設計院といわれる集団。比較的早い段階より設計プロセスに参加してもらい、その豊富な経験と知識を活用し、複雑な法規の理解の仕方や、各コンサルタントとの設計面からの調整を行ってくれる。

以上がこのプロジェクトに関わるコンサルタントである。しかもいつの時には、形的には常に建築事務所と各コンサルタントが直接やり取りをすることになり、それぞれに建築的な空間のコンセプトとどのような空間を作り出そうとしているか、各コンサルにどのようなことを求めているのか?などを説明し、プロセスの過程で逐一チェックをして、方向性の修正を行うのも建築事務所の役割となる。

例えばキッチンのコンサルが厨房の効率的利用の為に、ここの壁を動かした方がいいのだが可能かどうか?などと問い合わされ、建築的にはOKだか構造的に問題があるかもしれないから、構造のコンサルに問い合わせるのも建築事務所。構造的にはOKだが、設備に影響があるかもしれない。と言われて設備に話を振るのも建築事務所。これなら大丈夫だと確認が取れて返答をし、さらに変更があったということを別のコンサルたちに伝えるのも建築事務所の役割。

しかもそんなにうまく調整がつくのは稀な話で、通常はそれぞれのコンサルが自分にとってやりやすいように設計を変更したがるのもので、例えば構造コンサルは「この部分の長期加重が厳しいので、ここに2本柱を立てても良いか?」なんて聞いてくるので、空間の良さを保持するためにはどうしてもそれは無理ですと答えながらも、ならば・・・というカウンター・プロポーザルを出さなければいけなくなる。

デザイナーというだけに、ランドスケープ・デザイナーも様々なアイデアを出してくるが、皆が好き勝手にデザインし始めたらどこかの遊園地になってしまうので、建築空間がどういうコンセプトでどのような雰囲気を願っているのかを説明し、対立するのではなくチームとして一緒の方向に引っ張っていくことも必要となる。

そんな訳で一日に必ず何かしらの問題というものが持ち込まれ、少しでも解決が遅れると、宿題が溜まるだけでなく、さかのぼって解決するなどということが不可能になり、より大きな問題に繋がるだけなので、できるだけ早く解決への道筋をつける能力が建築家には求められてくる。自ら問題を見つけ、一番良い方法で解決できるようにする。

これだけのことにまともに向き合っていたら半分も処理できずに、問題ばかりを大きくするばかりなので、それぞれに担当者が対応するようにし、全体的に何が行われていて、どこが問題になりそうかを、さらーっという感じで捕らえておく。そうすると、このメールの内容がまだ未処理だとか、この問題はすぐの対応が必要だとか、これは自分で返信をしなければいけないだとかの勘が冴えてくるようになってくる。

しかし問題なのは、このくらい多くのコンサルが入ってくる段階のプロジェクトが2,3個重なってくると、「14時からライティング・コンサルとの打ち合わせですよ」と言われても、どのプロジェクトに関してか、思い出すのに数秒かかることとなる。

まさに地獄だが、地獄の中でも学ぶことはあるるように、これだけの専門家と共に仕事をしていると最先端の知識から専門的技術など、多分野の多岐にわたる情報と知識を一気に獲得する機会が豊富にあることと同義だと自分の海馬をごまかして、明日もまた地獄の中を前へ前へと泳ぐことにする。

2012年8月21日火曜日

ワーク・ライフ・バランス

なんて言葉が何年か前に日本で流行っていた気がする。

しかし、

「バランスを取るほど我武者羅に働いているか?」

と自らに投げかけると、少々うつむき加減になり、

「バケーションが欲しいといえるほど結果を残しているのか?」

と言われると、返す言葉も無くなってしまう。

週末は気の合う友人夫婦と一緒に、川辺でバーベキューをしたり、好きな山を歩き回ったりと、そんな夢のような時間を過ごせるゆとりを得るほど人生で何かを成し遂げたとは到底思えないし、月曜に会社にいけば仕事が待っててくれる訳もなく、自分達で物事を前に進めない限り次の仕事に繋がらないのであれば、ライフは与えられるのではなく勝ち取っていかなければならない。


世界を目指す建築バカ達が少しでも前に進もうと、今この瞬間も必死に新しい建築に対して想いをめぐらせているときに、一体どうすればノウノウと余暇を楽しめるのか?

という極端な考え方に走らなくても、

「ホリデーが必要」と納得していえるくらい思いっきり働き、
充電するのが必要なときにしっかり休むというのが本来のバランスかと考える。

20代に蓄えた経験の貯金で、30代前半を過ごしたという思いを背負って、
40代を納得して過ごせるように、30代後半はまたせっせと蓄える時期にする。

バランスというのは人それぞれだろうが、
相対的にではなく、絶対的に自分らしいバランスを見つけること。

横に居てくれる妻が寂しい思いをしないかどうかだけが、
自分にとって唯一絶対のバランスシートだと理解して、
少々の達観と共にまたスケッチブックに向き合うことにする。

2012年8月20日月曜日

「ベイジン 上・下」 真山仁 ★★


比較的長くに渡ってはまっている作家・真山仁。毎回違う分野において、世界のトップで闘う男の肌がヒリヒリするような生き様を描いてくれる。

原発と中国というタイムリーなトピックに誘われて、帰国したときにブックオフで一冊350円にも関わらず購入する。

あとがきを読んで納得だったが、えらく北京の詳しい街並みや、生活事情に精通しているな、と思っていたら、加藤喜一氏が取材の手伝いをしたということらしい。

それにしても、これほどこの国の表も裏も深く描けるには相当な知識と理解が必要になるだろうととにかく関心してしまう。

毎夜それは生まれ、毎夜それは消えるのの  
それは希望
歌劇『トゥーランドット』より

ロンドン・オリンピックが終わったばかりだが、オリンピックの開幕式と言う、世界的な戦争が無くなった現代社会において、唯一国家が大手を振って国家予算をつぎ込める4年に一度のハレのイベント。

一点の収束点に向かって加速する狂気的な熱狂の中に一体何が含まれているのか?

先進国に名を連ねるターニング・ポイントだった2008/8/8日の北京。そこに先進国として虚も実も必要とされる世界最大級の原発の開発および運転という試金石。そこに技術責任者として日本から赴く主人公。

「能力もなく努力もせずにヌクヌクと生きている連中が生理的に許せない」

と、コンプレックスをもてあまし、激しいまでの正義感に燃えるもう一人の主人公。


「希望とは、人が生きる原動力だ。どんな酷い目に遭っても、どんなに貧しくても、希望を失ってはならない。そして、人々から希望を奪う者がいれば、我々は勇気を持って闘わなければならない。」

という全体と通してのメッセージ。

序章 開幕一時間前
第1章 ミッション
第2章 郷に入っては
第3章 嵐の中で
第4章 柳絮は風に
第5章 鉄飯椀
第6章 カウントダウン
第7章 ブラックアウト

というなかなかよろしい章題に沿ってテンションもピークに達していくのだが、どう描いてもいろんな問題を起こすか消化不良におちいるか、という悩みを抱えて挙句、そこまで描かないと決断したかのような断絶のような終わり方だけは納得いかないというところか。

上海出張


大学時代に卒業を間近に控え訪れたのが上海で、夜に空港に到着し、その乾いた空気に大陸に来たんだと実感しながら、どうにかなるだろうと安易に考えていた宿泊先を思案していると、如何にもなバックパッカーが着いてこいというので一緒に向かった先が船長青年酒店だったのを良く覚えている。かれこれ10年以上前になると思うと感慨深い。

上海。

アモイ同様アヘン戦争の南京条約によって開港され、一気に国際舞台に顔を出すことになる。こイギリス、フランスなどの大国の租界が形成され、西洋文化の華が咲くことになる。

そしてその名の通り1865年に香港上海銀行が設立されるなどして、欧米の金融機関が本格的に上海進出を推進した、今では世界の金融・経済の一大中心地として君臨する。

そんな上海にまたまた足を踏み入れることになった。

日曜の最終便で北京から上海に渡ったパートナーが空港からそのまま印刷会社に向かって、最終で修正を入れていたA0サイズのプレゼン・パネルのデータを送って印刷を開始していたパネルを受け取り、そのままホテルに戻って最後のプレゼン資料をメールで送って、模型と合わせて朝一でコンペ主催者の会社に届ける。

という予定だったが、いつも最後は問題が起こるもので、担当者二人を残してオフィスを出たのが夜の2時。荷物を用意し数時間の睡眠を取り5時に家を出て空港へ。結局5時前までオフィスに残るハメになった担当者のイタリア人と合流し、最終のデータをしっかりとUSBに入れたことと、上海でちゃんとパネルが印刷されたことを確認して搭乗。

9時に上海に着くと、手配してもらっていた先方の会社の人が迎えに来てくれており合流。10時の集合時間に間に合う様にと渋滞の酷い高速を飛ばしてもらうが、あっちにいってもこっちにいってもどこも渋滞。なんとか到着したのは10時過ぎ。

コンペ参加の他の3社のチームと思われる人もちらほら見えて、中では主催会社側ですべての案を比較検討中だということで、昼過ぎまで待たされ、結局昼過ぎに呼ばれプレゼン会場に。

プレゼン後先方の担当者さんと今度の流れを確認し、合流してくれたドモス(中国版)の編集者と一緒に磯崎新設計のヒマラヤ・センターの見学に向かう。あいにくの雨に降られ、グニャグニャの下で雨宿りし、上海屈指のお洒落スポット思南公館でコーヒーを飲みながら嵐のようなスコールをやり過ごし、コンペにも参加していたMADA s.p.a.m.の事務所を訪れる。

马清运(Ma Qingyun)氏はアメリカに居るということで、パートナーの陈展辉(Sunny Chen)氏が歓待してくれた。二人ともパートナーのマとも親交が深いのでドモスの編集長も合流し、MADA s.p.a.m.が西安で作り販売しているというお勧めの赤ワインを明けて飲むが、如何せん昨晩の疲れより飲めば飲むほど眠くなる。

ちなみに马清运氏はアメリカの南カルフォルニア大学の建築学部の学部長を務めており、ほとんどアメリカにいる。カリフォルニア大学ロサンゼルス校UCLAで学長を務める日本の阿部仁史氏と共に、カルフォルニアには二人のアジア人建築学長が存在するということになる。

トロントのコンペの時も、提出時は同じように無茶苦茶だったなんで話をしながら、さらにフラフラになりながら、仕事の為に北京に行くという陈さんと一緒に車で空港まで送ってもらう。

曖昧な理由のために出発が2時間送れた飛行機の中、やっとのことで睡眠を貪りながら、いつの間にか久々の上海を後にする。





2012年8月19日日曜日

間合い

この国で建築を仕事にしていると、スケジュールなんてものは変えられるのが当然だという意識になってくる。

進めている南京での大きなプロジェクトは、月末に予定されていた大きなプレゼンテーションが何の理由かも知らされずに、数日前に突然来週の月曜日に締め切りが前倒しされ、コミッションだと聞いていたのが、実は他にも同じ条件で3社にも依頼していて、コンペの形式になっているという。

そんな訳で週末というのは「想定外」の事態に対応するべき時間だというのが身体に染みつき、一ヶ月に一日、二日まったく事務所に出なくてよい週末があるくらいで、その他は何かしらのプロジェクトに翻弄されることになる。

そんな風に「間合い」をもって臨んでいたはずだが、流石に延べ床面積50万平米を超える巨大プロジェクトで、悠久の歴史を持つ中国の商業空間と現代との幸福なる融合を目指し、新しい都市空間の創造を求められる中、この2週間の前倒しは流石に「想定外」という言葉を使いたくなるが、そう口にしても誰も代わりにやってくれる訳ではないので、心を落ち着かせ、再度「間合い」を取り直す。

それまでに用意すべきプレゼン内容を担当者と綿密に話し合い、最小限で最大限の効果を得るべくストーリーボードを用意し、どれだけの仕事量が必要で、どれだけのマンパワーが欠けているのか把握する。

締め切りを控えていない他のプロジェクト・チームは通常の週末に入ってしまうので、週末に入る前に足りない分を補充すべく、他のプロジェクトの担当者に話をし、スタッフやインターンから得意分野によって、この週末に別のプロジェクトを手伝うようにお願いをする。

伝えるべきことを過不足なく伝えるために、限られた時間内で建築模型を作れる会社に必要データを送り、馴染みのパース会社に重要なパースを厳選して依頼し、残りのパースはイン・ハウスで作成すべく視点と見せるべきものを決めて5人がかりでフォトショップ作業の割り振り。何人は模型、パース、印刷と、常に状況を把握して連絡を取り合うことになる。

そんなことをしていたら、週末を目前とした平日も12時を越えての帰宅が当たり前で、プレゼン日を明日に控えた日曜日の夜に、まずはパートナーのマが模型とプレゼンボードを持ってプレゼンが行われる上海に飛んで、月曜の朝一の便でプロジェクト・アーキテクトのイタリア人と二人で最終のプレゼン資料を持って上海に入る予定となる。プレゼンが朝の10時だからということで、万が一に飛行機が遅れた場合を想定し、最終ができた時点でメールでも送信しておく。

やっかいなプレゼンボードはA0サイズなので、印刷に一枚1時間ほどかかり、飛行機の時間から逆算してどの時間にはすべてを印刷会社に送らなければいけなくて、テスト印刷のチェックの為に、担当者自身も印刷会社に見に行かせて問題があれば、そこでの微調整となる。

それぞれが目的を理解し、やるべき事を把握して、一つの生命体の様に動かないければ終えることができない非常に厳しい状況の中、その緊張感を共有していくうちに、なんとわなしにチームとしての一体感が生まれてくるのは不思議なもので、それぞれがそれぞれを助けようとする姿に、かつて自分達もザハの事務所で同じく締め切りの追われていたのを思い出す。

これだけ大変な締め切りを過ごすのは、ある種嵐の中を歩くようなものだが、不思議なことに同じ事務所の中にいても、他のプロジェクトのチームに属していたら、となりのプロジェクトが嵐を経験しているというのはなかなか伝わらないものであり、徹夜やプレゼンの後に死んだように寝ている間に、なんであのチームの皆は今日は出社してないんだろう?とちょっと不思議に思う程度である。

そんなプロジェクトが6つや7つも平行していると、各チーム・メンバーの様に締め切り前のハードワークで燃え尽きて、一日二日を回復に費やす。なんてことが許される訳もなく、オフィスに居ない時間だけ各プロジェクトでやらなきゃいけないことが進まずに、宿題として溜まるだけならば、チームのみんなと同じくらいプロジェクトに身体を浸しながらも、その中でも適度な「間合い」を保ちながら、他のプロジェクトのスケジュールを「想定」していく他道は無い。

ストレスというのは乗り越えない限り無くならないのであれば、できるだけ早くそれを乗り切る能力をつけてしまう方がいい。

そんなことを思いながら、明日の上海に想いを馳せる。