2009年7月29日水曜日

「TENGU」 柴田哲孝 2006 ★★



「大気が動き出した。 奴はやってくる。」

そんな書き出しから想像させるのは、十分なハードボイルドと如何にも怪しげなUMAの世界。

20年以上も前に起こった群馬の小さなマタギの村で起こった殺人事件。現在は中央通信記者を努める道平慶一がその事件の真相を追うという展開。

明らかに人間の力を超えた何者かの仕業であったその殺人事件。圧倒的な力と残虐性。そして伝説から想起される天狗の存在。

事件の陰で暗躍する米軍の動きと、事件の鍵を握る盲目の美人・彩恵子の存在。

そのオチにはぶっ飛ばされるが、UMA、謀略好きには堪らないハードボイルド作品。



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第9回(2007年) 大藪春彦賞受賞
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「KAPPA」 柴田哲孝 2007 ★★★

UMA好きで、川口浩探検隊に胸を躍らせて小学校時代を送った年代の男性には堪らない内容の小説。

ライターの有賀雄二郎が、ランドクルーザーを飛ばして茨城県牛久沼へ。追ってきたのは噂される「河童伝説」・・・

コールマンのカナディアン・カヌー。
プラノのタックルボックス。
ガーバーのサバイバルナイフ 。

まったく分からないが、アウトドアに憧憬を覚える世代にはこんな大人になりたいと思わずにいられないような単語が飛び交う。

ポークというルアー
ラインは14ポンドテスト リールもABU3500C タックル
小麦粉をまぶしてムニエルに
バスロッド ベイト スピニング
スウェーデンのABU社

などと、兎に角作者の自己満足、自己顕示欲の様な描写が続き、釣り自慢を書きたかったからこの主題を選んだのか、それとも・・・と卵が先か、鶏が先か考えながらも読み続けることになる。

外来種による生態系破壊の深刻さという、全うなオチで終わりながらも、伝説とUMAを絡ませ、ドキドキハラハラさせて最後まで飽きさせないその手法に納得し、自作を期待させるに十分な一冊。

「RYU」 柴田哲孝 2009 ★★

ハードボイルド好きには堪らない作者のUMAシリーズ第二弾。今度のモチーフは「竜」。

ジャックと有賀雄二郎が今度は沖縄を舞台に、失踪をする米兵と、原因不明ながら殺される家畜から、噂される沖縄の伝説の双頭の竜「クチフラチャ」の存在を追うことに。

謎の米軍の行動に、遺伝子操作で恐竜を蘇らせたのでは?という疑惑と、送りつけられてくる謎の巨大生物の写真。

巨大生物好きで、UMA好きで、謎の冒険好きな男性には堪らない展開。いくらフィクションだと分かりながらも、かつての水曜スペシャル・川口浩探検隊を思い出しながら、存分に楽しめる内容。

2009年7月15日水曜日

「建築の四層構造 サステイナブル・デザインをめぐる思考」 難波和彦 ★★★



『箱の家』で知られる建築家;難波和彦。

東京大学の建築学部を卒業して、師である教授の研究室でモダニズムをしっかりと学び、クリストファー・アレグザンダーという建築理論のバックグラウンドとなる対象をしっかりと視界に収め、東京大学というアカデミズムに根を張りながら、決してぶれることのない建築思想と建築活動を行き来し、世間でどれだけ建築家がもてはやされ様とも、決してその立ち位置を間違えることなく、ただ一心に建築に進化の方向があるのなら、1mmでもいいから自分がその推進に力になりたいと言わんばかりの良心の建築家像。建築家と学者の二つのイメージを正面きって受け止める数少ない現代の建築家。

その人が人生をかけて考えてきたこと、そして「環境」というあたらなるパラダイムに入らなければいけない現代の建築に対して、どのような方向性をつけることができるか、技術の力を信じ、建築家が技術者であることを体現し、新しい社会要請に対して、新しい建築の技術の表現を模索する。様々な考えの上澄みを吸い取ったような良質本。

その中でも強烈に作者のキャラクターを現しているのが

『エイリアン』と『タイムレス』

H.R.ギーガーによって描かれた新たなる未来のイメージ。リドリー・スコットによって映像化されたバイオ・メカニズムの未来。かつて想像したピカピカ光る金属製の未来のイメージが、スターウォーズの登場によって、未来もまた汚れることを目の当たりにした人類に対して、更にバイオ・メカニズムの未来は、ハードエッジでなくドロドロとし、曖昧であるというまったく新しい未来の形を見せつける。

こういう洞察はなかなかできるものではないが、さすがは難波先生!と言わざるを得ない。

エイリアンはドロドロした未来だと指摘された後の世界を創造する我々は、一体どんな未来を頭に描きながら明日の建築を設計するのだろうか。ワクワクせずにはいられない。
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建築の四層構造 サステイナブル・デザインをめぐる思考
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2009年5月31日日曜日

「向日葵の咲かない夏」 道尾秀介 2005 ★★★★

数年前とにかく話題に上がり、ものすごい勢いで売れていた本。第6回(2006年)本格ミステリ大賞候補にもなり、その大どんでん返しの展開と不可解なラストによってネットでも様々な批評を受けているということで手にした一冊。

その噂にたがわぬなかなかのレトリック。毎回物語の設定として読者の頭の中に刷り込んだ何かを、後半にて一気に逆手に取り世界観をひっくり返す。そんな手法を得意とする作者。近作はその手法が見事にはまったといってよいのであろう。

今作品では逃した本格ミステリ大賞もしっかりと2007年に『シャドウ』で第7回(2007年)本格ミステリ大賞を受賞するあたり、やはり作者の技量を伺わせる。

物語はこれも作者の得意とする日本人の多くが原風景として共有できそうなのどかな田舎の幼少時代の世界。夏休みの始まる終業式の日に、欠席した友人の家に書類を届けにいった主人公が見つけるのは首を吊って死んでいる友人の姿。

小学生が友人の自殺姿を見つけてしまうということが、どれだけ衝撃の強い体験になるかという描写もそうであるが、いつもついて回る妹のミカの存在や、不思議な存在のトコお婆さん、そして生まれ変わって蜘蛛となった自殺した友人など、現実なのか、それともファンタジーなのか、それとも何かが狂っているのかと、微妙なところで世界観を崩さずに話を紡いでいくのもまた作者の力の成すところ。

後半に一気に明かされるネタバラシ。それでも解釈が何重にでも可能なラストをもってくるところ、やはり並みの小説家でないと思わされる。これくらいサクサク読めてなおかつ、頭に刺激がある娯楽小説が日常の時間の脇にあることのありがたさを感じる一冊であろう。

2009年5月30日土曜日

「クラインの壺」 岡嶋二人 1993 ★★★ 

1989年に刊行された本とはとても思えない内容である。

幾何学と日常的に向き合っている建築家という職業についているものなら、題名である「クラインの壺」は「メビウスの輪」と同じくらい馴染みの深いものであり、そこに新しい空間の可能性を一度ならずとも思い描いた対象でもある。

「メビウスの輪」がわっか状にに繋げられたリボンの一部を切り取り、それをひねって再度くっつけることによって、わっかの外をなぞっていたらいつの間にか内側をなぞることになるという幾何学の不思議を表すものであるが、それに対して「クラインの壺」はより複雑で、如雨露のような内と外を持った立体の一部が伸び、曲がり、もともとの立体に貫入していきもともとの立体の内壁とくっついて幾何学を閉じるというもの。つまり「面」の「表と裏」の操作ではなく、立体の「内と外」が捩れるという一次元高い幾何学の不思議を表すものである。

そのタイトルから分かるように、空間の捩れを指し、コンピューターの発達によって様々なところで問われている「リアルとバーチャルの世界」の線引きとその相互貫入の問題を主題においている。

イプシロン・プロジェクトと呼ばれるバーチャルリアリティを利用した新たなゲームであるブレイン・シンドローム開発。それは人間自体がカプセルに入り、液体につかることで視覚や触覚だけでなく、それぞれの感覚を同時に仮想現実の世界に入り込ませるという設定であり、その先に訪れるのは現実とバーチャルの世界の曖昧化。

それにしても、やっとVR(バーチャルリアリティ、Virtual Reality)やのAR(Artificial Reality)が現実の世界での利用が始まった昨今から考えて、20年前にすでにここまでこの技術が発展し、その後に人類が向き合うことにある根源的な問題を主題におくとは、著者の考察の深さに頭が下がるばかりである。

小説内の象徴的な一節

「はじめのところから始めて、終わりにきたらやめればいい 」

それが示すのはまさにタイトルの「クラウンの壷」のように、一体どこかがはじめでどこまが終わりなのか?という問題。

著者の岡嶋二人は徳山諄一と井上夢人の二人の共著での著者名であるが、この一作を最後にコンビを解散してしまうことになるのが、これほどの作品を残すのは相当な関係性があってのことだろうと想像するだけに、非常にもったいないと思いながらも彼らのその後の作品も追っていかないと思わせる名作である。
クラインの壺
メビウスの輪

2009年5月29日金曜日

「天使のナイフ」 薬丸岳 2005 ★★★

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第51回(2005年)江戸川乱歩賞受賞作
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人が作る社会の秩序を守るために作られる様々な法律。社会が変わり、その中で生きる人も変われば求められる法律も変わるべきだが、性善説、性悪説と人類の歴史と同じ長さを持つ「人が人を裁くこと」への矛盾。そしてその線引きを何処におくかによる葛藤。その揺らぎによって傷つけられる人々の物語。

その社会と法律の矛盾に光を当てて、現代の抱える問題を浮かび上がらせようとする作者の試み。そのライトが当てられるのは、少年事件と少年法の問題点。

子供は純粋であるはずだ。
子供はまだ分別がつかないだけだ。
ちゃんと更正させれば、まともな大人になれるはずだ。

という性善説に支えられた思い込み。それに反比例するように頻発する少年犯罪。現代を代弁するかのようなその事件が「なぜ起きたのか?」に注目してやりだまにあげられる「郊外」や「ネット世界」。それに対して、犯罪を起こした子供に対する「刑罰」をどうするかを対処するのが「少年法」。

現行の少年法では、未成年者の人格の可塑性、つまり「更正すればまともになる。こうなってしまったのは、それまでの環境のせいだ!」という建前とも呼んでいいような人類の飽くなき願いに沿って制定されており、刑法41条によっても「十四歳に満たない者の行為は、罰しない」とされている。

そしてそれを裏手にとって、14歳まではなにをしても刑罰に処されないと開き直る子供がいたらどうするのか?

そして少年事件に巻き込まれ、妻を殺された被害者である主人公。少年Aや少年Bと名づけられた子供達。更正施設からあっという間に社会に戻され、過去を消して生きていく彼ら。その周囲で起こる殺人事件とかつての被害者の主人公の姿。そして徐々に明かされる過去の事実。

「目には目を」

ではないが、人が人を裁くことの永遠なる人類の葛藤。そして社会を構成する一員として現行の法令に縛られる自らの感情。その網の目を潜り抜けていく子供達。その矛盾を見事に描ききった傑作といってよいだろう。