2006年6月21日水曜日

チャイ 拆


二年前のこの時期、イスタンブールに居た。大学院時代の友人のトルコ人がこれまた同級生のポルトガル人と結婚するというので、のこのこ出かけていった。そこで飲むのはやはりチャイなのだが、チャからティーへと文化の変遷地なんだと思うとなんだか一層美味しく感じた。

茶の文化を運んだシルクロード。今、その東の果てでいるべきでない「チャイ」が街に溢れている。

「チャイ(拆)」。

先日、大山子(798)で北京の現代アートシーンの仕掛け人の黄鋭(ホアン・ルイ)さんのアトリエに伺った。ずかずかと寝室から屋上まで上がらせてもらったのだが、その時に現在作成中だという、「CHI-NA・拆那(チャイナ)」という作品を眼にすることができた。

「拆」というのは、政府が取り壊すことを決めた建物に、「近々取り壊します」という意味ででかでかと赤丸つきで壁にしるしをつけるもの。

日本の様に何年もかけて交渉なんてものはさらさら頭にないので、「チャイ」が現れた数ヶ月以内には建物はすでに再利用されるレンガの塊へと解体されている。

CHI-NA・拆那」という作品は、あまりの速度で解体されていく北京とCHINAは、どこにいくのか?というメッセージをこめたもので、2008年のオリンピックまでに完成目標だとのこと。

こんな様に、できることなら見かけたくない「チャイ」なのだが、ある時友人に「チャイ」のもたらした面白い現象について聞かせてもらった。

その彼は「アーバン・チャイナ」なる雑誌を媒体に社会学的なリサーチをしているのだが、ある地方都市で突然「チャイ」の刻印をされてしまった家族がその主人公。

「チャイ」される家族は悪いことばかりでなく、補助金がでてバス・トイレ付のアパートに引っ越すことができる。しかもその補助金は既存の建物の床面積に比例して支給されるという。そこに目をつけたデキルお父さん。チャイされる前になんとか床面積を増やそうと、なんと5階建ての建物に改装してしまったという。先を見通す眼を持ったお父さんだが、まさか政府が「チャイやめます」といい出すとは予想だにしなかったのだろう。

そんな訳で、チャイの副産物として生み出された5階建てビルだが、そこはさすがビジョナリー・家族、ただでは起き上がらない。かつて小学校の先生をしていたお母さんは自宅で寄宿舎付の塾を開設、23階はそれで埋められた。45階は家族専用に当てられ、昔から鳩が好きだったお父さんは屋上で鳩の飼育なるものを始める。しかもそこで育てられた鳩が「中国伝書鳩コンテスト」で一等を獲得するほどになるのだから、このお父さんただものではない。

チャイをめぐる狂想曲、しばらくは皆が踊らされることになりそうだ。

2006年6月16日金曜日

鬼が来た


「鬼が来た」という映画がある。2000年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作である。

日中戦争中下の中国の農村を舞台に、ある夜軒先に置かれた袋に入った日本兵を預かることになった農民を中心に、戦争という非日常という中であくまでも個人を描き、それでも最後は国と国民という枠に還元されてしまうという、中国発の名作映画である。

今、「鬼」のいる国がある。しかもその鬼は今年二十歳になったばかり。

その国とはイギリス。
ルーニーのいる国。

奴と対峙することになったディフェンダーの恐怖は想像するに難くない。なんせ、かの国のフォワードならとっくに倒れのた打ち回るようなタックルを食らわしても、ヒョードル並みの腰周りで苦にもせず、万一倒れてもファウルなど期待せず直に起き上がりさらにボールを追う。

奴にボールを触らせる恐怖の余り、ディフェンダー達は数人がかりで行く手を阻むが、扉をこじ開け、乗り越えてでも先に進もうとする。明らかなファールが審判に取られないときは、プレデターの様な形相で雄たけびを上げる。目をあわせたら食われそう。

数年前、自分が鬼の国に住んでいた頃、彼はまだ餓鬼というレベルで、十代でありながら顔と態度は三十代の印象だったが、かつてのライバル・チームに移籍し、名将の下で過ごした二年ですっかり餓(我)が取れたようだ。

画面を通しても聞こえてくるような大声でボールを呼び、けが人が出たのかと思うほど両手を掲げてボールをよこせと指示をする。そして華麗なフリーキックを決めた主将に満面の笑顔でその豊満な身体をゆらし飛びついていく。

「俺、俺」詐欺はかなりの決定率だったらしいが、フィールドの上で殺気を放ちながら両手を挙げ、「俺、俺」と叫ぶ鬼がかの国に出現するのはいつの事になるのだろう。

2006年6月6日火曜日

ダ・ヴィンチ・コード


レオナルド・ダ・ヴィンチは言う。

「喉仏は必ずよっている足の踵の中心線上に存在しなければならぬ」。
安定した人物像を構成する為の極意である。

最近、あまりの運動不足を見かねて、オフィスでヨガなるものを始めた。月、水、金、午後四時はヨガの時間と言うわけだ。クライアントが来てもほったらかしで、ひたすら自分の身体との対話に励む。この夏、コロンビア大学院から取った数人のインターンの所員も、わざわざ中国くんだりまできて必死にバランスを取っている。なにやってんだか・・・

片足をあげ、それを軸足の根元に持っていき、両手を広げてバランスを取る例のポーズを決めていると、軟体動物のような身体の持ち主の美人先生が言う。踵から頭のてっぺんまで一本の線になるようにと。「お、ダ・ヴィンチ?」と思い、一人「オプス・デイ」と中国語で突っ込む。そしてバランスを崩す。なにやってんだか・・・

しかしこのヨガやり始めてみると、なるほどこれははまるわけだとよく分かる。人はその潜在能力の数パーセントしか使えてないとはよく言うが、必死に身体を曲げていると、少しだけその扉を開いている気がしてくるから不思議だ。身体を伸ばし、リラックスして音楽に耳を傾け、腹式呼吸に集中する。時間の流れが少しだけ変わる気がする。

そしてどこからともなく「グゥーグゥー」という心地よい音が。て、寝てるんじゃん。飛び入り参加した某有名美術家、既に悟りを開いているのでしょうか・・・

2006年5月1日月曜日

マイナス・イオン


今年の51に訪れた雲南地方に熱帯植物園なるものがあった。紹介文のところに、「マイナス・イオン出してます」なんて書いてあるものだから、「これは頂かなきゃあかん」ということで、両手を広げて、一人タイタニック。

「水兵リーベー僕の船、名前があーる、シップスクラーク・・・」なんて元素記号表をぶつぶつ言っていたら、あることを思い出した。

高校時代に「イオン」という名の同級生がいた。科学の時間にイオンとはプラスとマイナスの電荷が等しくない原子または分子のことなんて習ったもんだから、バランス悪いのかなぁと一人思ったものだ。ちなみに彼のお兄さんは「アイン」。北斗の拳の賞金稼ぎでなく、お父さんが有名な科学者だということで、相対性理論を越えるようなととんでもない想いがあってのことだろう。

で、彼の家の犬の名前。「ウラン」

「どっちの?」と突っ込みたくなる名前だが、それ以前にできるだけ距離を置いたお付き合いをさせていただきたいお犬様である。当時東海村で事故なんてあったものだから、ご近所のお犬仲間にも避けて通られたであろう、かなりの悪者だ。

しかしこの「ウラン」君。原子番号92の元素なのだが、人類がお熱をあげるの放射性同位元素として知られるのは0.7%のウラン23599.3%はただの金属の238ウランだという。このウラン2350.7%から35%まで濃縮すると核分裂するウランの完成。戦時中の日本でも仁科研究室が必死に研究を重ねた結果、この濃縮工程に200年ほどかかると推測し、とっとと開発をあきらめたというほどその濃縮過程が大変らしい。

で、238の金属としてのウランの特性を利用したのが、劣化ウラン弾。高硬度、大質量の為弾頭として極めて望ましい効果を得られるらしいが、たった「3」の違いでその内実はとんでもなく違ったものになる。世間のとんでもない勘違いを指摘するべく名付けられたかは謎だが、ものすごい含蓄のあるお犬様だ。

そんな素敵な家庭に育ったイオン君ももう結婚したと聞いた。対になる素敵なプラス・イオンをみつけて、電離状態からみごと安定化したのだと思うと、なんだかこちらも嬉しくなる。

で、やはり次に気になるのは彼の子供の名前なのだが・・・

2006年4月27日木曜日

マイ・ヒーロー


建築を学び始めた頃、なぜか学校でコンピューターを使うことを禁じられた。

そんな訳で膨大な時間をかけ、製図版に向かう生活を続けていた。自分の手を使って図面を引くと、それぞれの個性なるものが浮き出しにされる。

その頃は昔の建築家の図面を見て、なんて美しいんだと一人興奮していたのをよく覚えてる。

そんな中でも一番のショックを受けたのが、ポール・ルドルフ。コンクリートを使ったかなりブルータルな表現をする建築家なのだが、彼がすごいのはその断面パース。

つまり建築を切って、遠近法的に内部空間を表現する図面なのだが、これはかなり労力と時間を労する。

しかしその分、その建築家が思い描く空間がはっきりと描かれる。その密度たるやものすごいもので、彼は一度製図室にはいると、何十時間も出てこなかったといわれている。

そっから設計始めるもんで、普通の建物と違い、断面が折り重なり、複雑な空間をつくるのが彼の特徴。そこには高さの違ういろんな関係性が作られ、まさに異なる空間経験が図面の中で既にできる訳だ。

またこの図面がかっこよくて、美しくて、影のつけ方一つから何度も何度もトレースしていた若かりし頃のマイ・ヒーロー。そんな彼の実作にまさか遭遇することができようとは思っていなかった。

イェールの建築学部学長をしていた彼によりその学部棟は設計された。

エントランス部分からかなり長い階段を上らされ、既に自分がどのレベルにいるかが曖昧化される。

天井仕上げも荒いコンクリートの打ちっぱなしで、しかも高さはかなり低く抑えられている。そこからメインの空間にでると、真ん中が吹き抜けの回廊型の空間に出くわす。この回廊にもいちいち階段がつけられていて、常に違うレベルから抜きぬけを見下ろすことになる。

そんなのをみて、いちいち一人で「うぉ」、「すげぇ」って感動する自分。ファイナル・レビューが近づいてる学生さん達にかなり白い目で見られていたこと、まちがいない。

ちなみにメインホールでは、ロンドン時代に働いていたザハ・ハディドの展覧会をやっていた。かつての同僚のアナとティアゴが手がけたらしい。

ま、相変わらず、ザハはザハでなんか嬉しかったりして。

2006年4月26日水曜日

ウーマンズ・テーブル Maya Lin 1993 ★★★★




















IITイリノイ工科大学)はシカゴの街に非常に開けたキャンパス構造になっている。構内に鉄道や、一般道路すら走っている。やはりイェールやコロンビアなどのアイビー・リーグの大学環境にはなかなか追いつかない。

ここイェールは全米で始めて女性が大学に受け入れられた学校として今でも名声を誇っている。女性だけでなく黒人が始めて大学に受け入れられたのもここイェールだという。このようにマイノリティーの社会進出を助けてきた大学の歴史を記念して、数年前に構内にウーマンズ・テーブルという彫刻が建てられた。テーブルの中心から水が溢れ出すとともに、数字がらせんを描いている。中心付近は殆ど「0」が並び、突然「13」が現れ、あとは加速度的に増加をする。これは学校の歴史を年次列にしたもので、数字は女性学生の数を表していると言う。

テーブルの表面を流れた水はその端からカーテンのような皮膜をつくり落ちていく。人種も、性別も関係なく、同じ学問を目指しここに集まり、そしてこれからも集まってくる物へのトリビュートだという。

ちなみにホワイト・ハウスでいかがわしいコトをしちゃった大統領もここ出身だそうが、ホワイト・ハウスにも一つウーマンズ・テーブルを作るべきだと思う。






名門


世の中には数々の名門なるものがある。

学校、家系、球団
・・・

名門には環境が付き物で、その環境で人が育まれ、人と出会い、次なるステップへと羽ばたいていくものだ。

グランド
セントラルから北に2時間ほど列車に揺られ、辿り着いた先ニューヘブン。
そこにあるのは歴代アメリカ大統領を数多く輩出する名門中の名門イェール大学。
今一緒にオフィスをやってるパートナーがこの大学院出身ということで、今回いただいた賞について建築学部長に報告に行くためにやってきたというわけだ。

AA
ならロンドン、コロンビアならマンハッタン、ハーバードやMITならボストンといった様に都市型大学とは違いプリンストンやイェールは完全なる郊外型大学で、税金を払わなくて良い大学とその大学に土地をとられる市との間で、依存と対立が繰り返されるという。

そんな訳で街の半分は大学の敷地で、野球場はあるわゴルフコースはあるわで、かなり優雅な環境が用意されている。その代わり、夏や冬の休みの時期になると、町は半ばゴースト
タウンに様相を見せるらしい。

名門に属すると、他人と差別化を図ろうとするのが人に性で、そこに現れるのがブランド。つまりは名門グッズ。

パーカーからTシャツ、キャップなどに「YALE」の文字。

結構ミーハーなもんで、あくせくと試着を繰り返し、全身名門で固めました。

て、俺卒業生じゃないし。

そんな訳で、今度ゴルフ行ったときにさりげなく「YALE」のマーカー使ってたら思いっきり突っ込んでくださいな。

て、俺ゴルフ全然できないし。。。