2012年7月14日土曜日

この先、渋滞があります

北京に戻って三ヶ月しか経っていないので、日本の戻るといってもそんなに懐かしいものでも無いと頭では理解しても、乾燥した大陸の気候に慣らされた身体にとっては蒸せるような初夏の湿気は耐え難く、一週間の滞在ですっかりグロッキー状態になってしまった今回の帰国。

機内という究極の空調域からいきなり無防備な身体で放り出される着陸後のブリッジ内部が、一番強烈な環境的ストレスを身体に与えることになるんだと感じながら到着した成田空港。

海の日を飲み込んだ三連休の初日に、渋滞に捕まりながらもわざわざ埼玉より迎えに来てくれた妻のご両親と久々の再会。とにかく今日の渋滞は酷いということで、挨拶もそこそこに荷物を車に載せて東関東道を都内にむかう。

そして早速ナビから流れるのは「この先、渋滞があります」の声。

しょうがないとは分かっているが、どうして関東の高速道路の経路は一度東京を経由してしか別方向に迎うような放射状だけの整備にとどまり、そのせいで都心部と経由する必要の無い通過車両がどんどん流入し、慢性的な交通渋滞が起きるのは当たり前だろうと、なかなかできない東京外かく環状道路にイライラする。

早めの英断だということで、高速を諦めて下道で行くことになるのだが、主要な幹線道路に入ればすぐに、

「この先、渋滞があります」。

それならば、と裏道を抜けて抜けてここなら大丈夫か?と思われる道にでたところで、

「この先、渋滞があります」。

ならこちらにと向かうと。

「この先、渋滞があります」・・・

本当にノイローゼになるのではと思われるのどのヘビーローテーション。

こんな渋滞ならばI don't need youだなと頭の中でガンガン鳴りながらふと考える。

世界に誇る自動車会社がいくつも存在するこの日本。高度経済成長に支えられ、どの家庭もいつかはマイカーと願った時代に合わせるように整備された日本中に張り巡らされる道路網。世界第二位まで登り詰め、見渡す経済大国としての日本の風景には、一家に数台は当たり前で、子供達はどんどん核家族化してねずみ算的に増えていく国内におけるマイカー総数。麻薬の様に一度覚えた便利さへの欲求は不可逆的に加速にするばかり。

そこで気になるのは、購入などによって一年にこの国に送り出される車の数と、逆にこの国から破棄される車の数のバランス。需要と共有などという机上の空論はほっといて、国土という限界がある世界で、道路の面積が増える速度には当たり前の様に同じく限度がある。

無計画にあまりに一度に増えすぎると多くの問題が起こるというので行われるバース・コントロールの様に、人間には理性というものがあるものだが、この現状はどう見てもおかしいとしか思えない。

売れなくて利益がゼロよりも、安くても売れればいいから値段を下げたり、廉価版の安い車を開発して普及させる努力を見ていると、一体一台の車を作る本当の原価率とはどのくらいで、本当は恐ろしいほどの暴利を国民からむさぼっていたのではと思わずにいられない。

限られた道路にドンドン送り込まれる車達は、心筋梗塞や脳梗塞などを引き起こす人体の血管の詰まりを想起させる。

これ以上詰まったら、血管が弾けるぞと危険信号段階で人は理性を働かせ食生活の改善や、適度な運動を行ったりするもので、それがロンドンで導入されたコンジェスチョン・チャージだったり、北京で導入されているナンバーの末尾の数字による規制となって現れる。

人として適切な都市生活を享受するためには道路面積と活動する車の総数との間でのコントロールが必要になるというのが、通常の人の理性であるだろう。

それらの街と比べても、現在の東京の状況は圧倒的に酷いと誰でも思うであろうが、一体どのようなアクションが取られているのか?なぜ、このような状況が慢性的にほかっているのか?

世界に誇る優秀な自動車会社と体系的に国土を開発するはずの国土交通省が置き去りにしたのが国民で、優先されたのが国と企業の成長で無ければいいのだがと思いながら、なんとか渋滞を抜け出す。

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